***

8/8
前へ
/9ページ
次へ
 私は首を傾げると、林間学校で何があったかを思い出す。1年前の出来事だから、決して思い出すことに苦労はしない。けれど、後藤君との接触はなかったように思える。クラスも違ったし、私が後藤君を知ったのは同じクラスになった今年からだ。 「林間学校の時、僕体調悪くてさ。でも気付かれないように、平気を装ってたんだけど。山登りしてる時に、隣を通った海上さんが言ったんだ。『体調悪いなら休んだ方がいいですよ』って」 「ごめん、覚えてない……」 「だろうね。一瞬の出来事だったし。その後、海上さんは先行っちゃったし。でも、それがすごく衝撃的でさ。それから、海上さんのこと知って、気になりだして、同じクラスになってこれは行くしかないって思ったら、コロナで休校になって。でも会えない時も、ずっと考えてて。だから、学校が始まってすぐに海上さんに告白した」  後藤君がへらっと笑うと、私は思っていたよりちゃんとした理由で驚く。ちゃんと考えてくれていたんだなと思うと、何だか嬉しかったが、むず痒かった。あまりこういう経験をしたことが無いせいだと思う。 「……ありがとう」  私はお礼を言うと、後藤君が「むしろ感謝したいのはこっちだよ」と言ってから、「ありがとう」と言った。  やっぱり後藤君との会話は、心が優しくなったような気分になれる。こんな会話で戦争が無くなるとか、平和が訪れるとか、そうは思わないけど、でもそうなったらいいなとは思う。 「ねぇ、そろそろ下の名前で呼びたいんだけど」 「……下の名前、分かるの?」 「そりゃぁ、彼女だから。知らないはずないでしょ」  後藤くんが可笑しそうにけらけら笑うと、足を止めて、私に体を向ける。 「千夏(ちなつ)」 「……呼び捨てなんだ」 「あれ、嫌だった?」 「いや、まさか呼び捨てだとは思わなかったから。だから、心構えが……出来てなかった」 「うん、顔真っ赤。マスク越しでも分かる」  後藤くんが意地悪そうな笑みを浮かべると、「千夏も」と言う。 「……遥人(はると)君」 「はい」  私たちは互いに目を見ると、目を細めて笑った。  ちょっとだけ。ちょっとだけだけれど、世界が優しくなったような気がした。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加