母と饅頭と筑波山

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母と饅頭と筑波山

 筑波山神社を訪れるのは、確か小学校の学習旅行以来だった。  パンパンと柏手を打ち、手を合わせる。これからの行程の無事を祈願するのと合わせて、神様にご報告。  ずっとご無沙汰していましたけど、亡くなった母の代わりに娘がやって来ましたよ、と。  周囲にちらほら見える登山客と思しき人々は本殿に向かって左手、ケーブルカーの案内がある方に歩いて行ってしまうけど、私は逆に右手方向へと歩み始める。 「ケーブルカーの方の道はずっと階段を登るだけだから退屈なのよ。ぐるっと右の方から回るコースがあるから、私はいつもそっち」  朧げな記憶を、インターネットからダウンロードしたルートマップと重ね合わせる。筑波山神社の少し東側から、女体山へ向かって伸びる白雲橋コース。おそらくこれが、母が好んで登っていたルートだ。  弁慶七戻りや胎内くぐりといった見どころの多い魅力的なコースらしい。所要時間は約二時間弱。いずれにせよ母が何度も登った道だ。母よりも若い私に登れないはずはない。そもそも筑波山なんて、地元の小学生が遠足に来るような場所だし。  ……なんて軽い気持ちで登り始めた私は、三十分もしない内に激しく後悔する事になった。  都内からも山ガールが多数訪れるビギナー向けの山だという割に、勾配も急な上、ごつごつした岩や木の根が剥き出しになり、想像以上に険しい道だった。  中学校の部活以来、七年ほど運動とは無縁の生活を送って来た私は、早々に母の遺品であるトレッキングポールに頼らなければままならない状況に陥ってしまった。 「お姉ちゃん、頑張ってねぇー」  自分よりも遥かに高齢と思しき白髪のおじいさんが、軽やかな足取りで私を抜き去って行く。途端に心が折れて、私は諦めて近くの倒木に腰を下ろした。  ポールと同じく、母の遺品であるザックから水筒を取り出し、用意してきた麦茶を喉に流し込む。熱く火照った身体の中を氷のような冷たさが伝い、一瞬にして消えて行った。  木陰だからマシとはいえ、九月も半ば。まだまだ残暑厳しき折だ。  延々と続くようにしか見えない木々の連なりを見上げてため息をつき、重い腰を上げる。頂上はまだまだずっと先だ。今さら引き返すわけにもいかないし、とにかく少しずつ登る事にしよう。  それにしても……げんなりした頭で、思いを巡らす。なんだって母は、山登りなんていうこんな不毛な遊びを繰り返したのだろう。  生まれてからこのかた、ずっと同じ小さな町で生活し続けた母にとっては、それ以外の楽しみを見出す事ができなかったのだろうか。
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