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鏡
鏡。それは自分を反射する唯一のもの
鏡。そしてそれはこの世界と別の世界をつなぐ橋
俺は学校の階段の踊り場にある、大きな鏡に手を当てていた。大きいといってもそんじょそこらの大きさじゃない。踊り場を中心に、下の階と上の階の奥までを映し出す。そんな鏡に写る自分はとてもちっぽけで、何も力を持たないことを知らされる。
「おい、奏多。何してんだー?はやく教室移動しなきゃ怒られるぞー」
「あ、ああ。ごめん、すぐ行く。」
俺は東條奏多(とうじょうかなた)。なんの変哲もない中学生。何も変哲がなく、力がないからこそ、この鏡の前に来ては手をかざしてしまう。この大きな鏡は、この学校で最も大切にされている、いわゆる重要記念物のようなものだ。こんなにも大きい鏡はこのあたりの地域にはない。いや、むしろ国内でここくらいなんじゃないか?だから、この鏡を見に遠くから見物する人だっている。おかしな話だ。大学とかならまだしも、中学校だぞ?俺らが一生懸命授業してる時に多くの人はこの鏡を見て楽しんでるんだ。そんな学校があっていいのか?
そんなことより、この鏡にはひとつだけ謎がある。それは…、この鏡がいつからここにあり、誰がつくったのか判明していないことだ。学校の創立歴史書物にも、この学校がなぜここに建てられたのか、何人が創立に携わったのかなど、細かなところまで書き記されているのに、鏡のことだけは一切書かれていない。そんなの、俺たち学生にとっては噂話にしたり、もっといくと怪談話にしたりするじゃないか。秘密が多いからこそ、知りたくもなるし、話を勝手に作りたくもなる。それが人間だし、俺ら思春期の男子ってもんだろ。
でも、俺はそうじゃないんだ。
聞こえたんだ。声が。
放課後、ひとりでこの鏡の前を駆け降りていた時、『待って』って誰かが言った。俺はその時何度も周りを見回したけれど、誰もいなくて、いるのは鏡に映った自分だけ。怖くて逃げ出そうとしたら、鏡の奥から白くて華奢な手が反射していた。誰も手をつけたりしていないのに、鏡の向こう側にだけ手が見える。まるで鏡の中に誰かがいるかのように。
「待って…。お願い____…」
また聞こえた。女の子の声。小さくか細い声は周りが静かでないと聞こえないくらいの大きさで、とても儚かった。俺はその手に自分の手を合わせるように鏡に触れた。
「だ、誰だ…?」
「いるの?そこにいるの…?」
まるですがるように、でもやっぱり小さな声で鏡の中の女の子はそう言った。
「い…るよ…。」
「見つけて…。触れて…。離れていかないで…。」
「『離れていかないで』?」
そう言った俺の言葉に反応することはなかった。まるでもう鏡の奥底に隠れてしまったかのようだ。『離れていかないで』って、
「俺に何ができるんだ…?何をするっていうんだ?」
頭の中はぐちゃぐちゃだ。整理なんてできたもんじゃない。だって、鏡だぞ⁈いくら大きくて有名で不思議だからって、中から声がするなんてこと、普通考えられるはずない。でも実際聞こえた。絶対この中から聞こえた。俺が…離れないようにする…?今の子から?しばらく鏡に手をつけて、耳を澄ませた。もうなんの音もしない。
「俺はなにか…しなきゃいけないのか?」
誰に話すこともできない。証明もできない。自分の記憶だけが証明だ。
キーンコーンカーンコーン
「ほれ!言ったろ、奏多!はやく走るぞ!」
「あ、ごめん!」
俺は最後に指先を残すように、スゥーっと鏡から手を離した。
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