この世界にさよならを

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この世界にさよならを

 俺は、鏡に手を触れた。そうすると吸い込まれるように手が鏡の中へ入っていく。  あぁ。俺は、本当に…  「奏多。生の世界も死の世界も、奏多がそこを楽しいと思えばきっと幸せな世界だよ。」  俺は最後まで、ヒナコに気を使わせて、情けない…。  「ヒナコ。俺さ___…」 本当のことを伝えようと思った。  「初めてヒナコの声をこの世界で聴いた時に、なんて綺麗な声だろうって思ったんだ。」  「‼︎」 ヒナコは驚く。  「思い出すことができなくて、ヒナコを笑顔にしてあげられなくて、ごめん___…」 そう言うしかなかった。でも、そんな薄っぺらい俺の言葉にヒナコは、  「嬉しい…。奏多の中で私が、私の声が響いたんだね。それだけでもう幸せだよ。」 笑顔で涙を流す。  「私もすぐにそっちに行くからね!」 ヒナコのその声を聞いた瞬間に、俺は鏡の向こうの世界は吸い込まれた。  扉のように単純に世界を行き来するわけではないようで、俺は異空間のような場所で漂っていた。  なんだここ。宇宙みたいだ。宇宙行ったことないけれど…。  フワフワと漂うその空間には、俺だけではなく他の人もちらほら見える。  (あの人たちも死の世界に行くのかな…)  「って、いてっ!」 何かにぶつかった。この空間には色々な物も浮いている。そんなに大きなものはないけれど…  「あぁ、あぁ!あった!私のペンダント。」 ある女の人が目を輝かせてペンダントを握っていた。  「なくしたと、なくしたとばかりっ…!」 泣きながらペンダントを手にした人は、この空間から消えていった。  なんだ、今の。  よく観察すると、他の人も同じような動きが見て取れる。バッグを持って喜ぶ人、賞状を見て目を輝かせている人、子どもを抱き抱えている人。その全ての人たちが嬉しそうに笑い、泣き、そして消えていく。  俺も…、何かここで見つけるものがあるのかな?  この空間に、ヒナコはいなかった___…。  「俺、どうしたらいいんだろ…」 フワフワと漂いながら考えていた。  そんな時___…  目の前に明るい光が見えた。なんだろう、地球儀くらいの大きさの光。  「なんだ、これ。」 その光に手を伸ばしてみると、   さらに大きな光を放った。そして俺の中に入り込んでくる。  「え___…」  その入ってきたものは  俺の…記憶……?  俺の知らないヒナコの笑顔が目の前にある。手を繋いでいて、いろんな場所に行って。俺の目をまっすぐ見て、  「奏多っ」 と呼ぶ。その声は弾けるように明るく、今までの少し悲しそうなヒナコとは違った。  「これ、もしかして…」 一回目の生の世界での、俺の記憶?ヒナコが言っていた、ヒナコと付き合っていたころの、俺が忘れていた記憶。としか思えない。  俺の目の前には、ほとんどがヒナコで埋め尽くされていて、幸せな気持ちがいっぱいで、明るかった。  「こ…ここで、落としたのか。自分の記憶を…」 一度落とした自分の記憶が戻ってくる。すると涙が出てきて、その瞬間俺の身体はさっきの人たちのように光って別の空間に飛ばされた。  「……た」  眩しい。すぐには目が開けられないな。  「かな…た…」  なんだろう。この心地よい声は。  「奏多!平気?」  俺はしばらくしてから目を覚ました。目の前にいたのは、ヒナコ。不安そうな顔をして俺の顔をのぞいている。  「奏多…。また、会えたね。」  「あ、あぁ…。ヒナコ。」 なんだこの感覚。さっきまで生の世界でヒナコに対して抱いていた気持ちとは違う。  「ヒナコ…。」  「ん?どうしたの?」  「病院で、俺の名前を呼んでくれてありがとう…」  「え…」 唐突に言ったものだから、ヒナコはびっくりしていた。  「学校の屋上から飛び降りて自殺までして…。本当にどうしようもないやつだな…。『私がそっちに行く』なんて言うなよ___…」  「なんで、そのこと知ってるの?」  知ってるも何も___…  「だって、ヒナコは俺の彼女だろ?俺のためとはいえ、自殺してまで追いかけてほしいなんて言ってないぞ。お前の、お前の笑顔だけが俺の幸せだったんだから…。」 言葉がペラペラと出てくる。今まで自分からこぼれ落ちていた、全ての記憶。  それを言った途端に、ヒナコは泣き出した。  「お、思い出したの…?私のこと。」  「思い出したよ。記憶をちゃんと拾ってこれた。ヒナコとの大切な思い出。」 そう言って、ちゃんとヒナコのことを想いながら抱きしめることができた。  「ヒナコ。大好きだよ。俺のために、たくさんありがとう。」  「か、奏多!遅いよ、バカ。もうずっと思い出してくれないかと…」 うわぁぁんと言いながら泣き出した。  俺はここまでヒナコの気持ちを押し込めていたんだと思うと、申し訳なさでいっぱいになった。  「奏多、大好きだよ!大好きっ!」 今まで堰き止められていたものが、溢れ出るようにヒナコは俺に想いを告げ続けた。  そして俺も___…  「大好きだよ、ヒナコ」
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