胡蝶の夢

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「焼くとでも思ったのか。夫婦になったと言えども、形だけ……そなたが他の女と何をしようが干渉する気など無い。好きな者を側室にしたら良い」 それは濃姫の本心だった。顔を合わせて丸一日と経ってはいないが、信長に恋心など持つ事は生涯無い相手だろう、というのは判明していた。初対面から憎しみの感情を植え付けられただけに、心を通かよわし寄り添うなどと、とても考えられなかった。 しかし、正室としての務めだけは受け入れなくてはならないと、義務感から呼び止めただけだった。 信長は濃姫の発した言葉など気に留めず、そのまま出て行くのかと思いきや、振り返り近づいて来る。特に機嫌を悪くした様子も無い。じっと濃姫を見たまま近づいて来る。 夜とは違い今は明るい。身なりはどうであれ、信長の整った顔立ちがはっきりと見え、昨夜見たのと違う野生的な威圧感を感じる。 そして濃姫の前で立ち止まり、一歩、更に一歩と近づいてくる。それに押されて一歩、一歩と退がる。ついには壁に当たりそれ以上退がる事は出来ない。すると信長は両手を壁に付き、濃姫を囲った。 何を考えているのか分からない顔。見下すわけでも無く、色気を漂わせているわけでも無い。一体何をしようと思っているのか分からない。 片手が壁から離れ、昨夜した様に濃姫の顎をすくい固定させる。口吸いをしようとしているのか、顔が近づいてくる。なのに信長の目はしっかりと開かれ濃姫の目を見たまま。濃姫は堪らず目をつむると唇が触れた。 じとっとした感触。昨夜とは違う。唇全体を覆われ、生温かい湿ったもの、舌が唇を舐めている。 濃姫の背中に悪寒が走った。唇のみが触れただけの時は柔らかく、つい、気持ちを緩めてしまうものだったが、今のは食べられてしまうのではないかと思わせるもの。恐怖を感じた。
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