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プロローグ
『嘘をつく子供』というイソップ寓話を、皆はご存知だろうか
いや...
もしかしたら『羊飼いと狼』や『オオカミ少年』というタイトルの方が聞き馴染みがあるのかもしれない。
もしくはタイトルを覚えてはいないが、そんな感じの御話を、どこか遠い昔に聞いたことがあるという人もいるのだろう。
その内容は…
羊飼いの少年が、退屈しのぎに『狼が来たぞ!!』と嘘をついて騒ぎを起こし、その嘘に騙された村人は武器を持って外に出るが徒労に終わり、その大人たちの姿を見た少年は面白がって、繰り返しにそんな嘘を吐き続け、いつしか村の誰からも信用されなくなり、最後は本当に狼が来た時には誰からも助けてもらえず、村の羊は全て狼に食べられてしまった
...というモノだ。
なんだろう...
なんだかこういう風に語ってしまうと、物凄く簡単で明瞭で、まるで当たり前のような結末で、随分と単純な物語のようにも思えてしまう。
まぁ実際、「嘘を吐けば信用を無くす」なんてことは、簡単で明瞭で当たり前のことなのだから、それはそれで間違いではないのだろう。
そう...
なにも深い意味など考えなくても、この御話が伝えたいことは「嘘吐きは信用を無くす」というモノで、間違いではないのだ。
そしてさらに付け加えるならば、「嘘吐きは信用を無くすから、人は常日頃から正直に生きるべきである」というモノだ。
しかしながら...
しかしながらどうしても僕は考えてしまう…
どうして誰も、狼が村の羊を襲う時の外の異変には見向きもしなかったのだろうか…
どうして誰も、その少年の言葉を嘘だと信じて疑わなかったのだろうか...
…っと、この歳になってからこの寓話を聞くと、僕はそんな風に考えてしまうのだ。
たしかに嘘を吐き続ければ、それで信用がなくなることも理解できるし、それでたまに言う本当のことも、それがどんなに重要なこであろうと、それは誰からも信じてもらえないということも、理解できる。
しかしながら…
しかしながらそれでも、村の羊が全て食い尽くされる時に、外に何も異変が起きないなんてことは、果たしてあるのだろうか…
いや、ある筈がないのだ。
だからそのときに、もし誰かが一人でも外の様子を確認して、「おい、本当に狼だぞ!!」っという風に言ってしまえば、村の羊が全て食い尽くされることなんて、なかったかもしれない。
そんな風に動ける者がもし一人でもいれば…
誰しもが怠慢に、右に倣えで少年を嘘吐きだと信じてしまわなければ...
この物語の結末は、もっと違ったモノになっていたのかもしれない。
しかしそう考えると、この物語の解釈が、全く違うモノにもなりかねないのも、事実である。
そしてそう考えるとなんだか、物語というモノは伝えたい何かを伝えるために、予めに全てが仕組まれている様にも思えてしまう。
最初から最後までが、プロローグからエピローグまでが、起承転結が…
そんな全ての何もかもが、作者という策士によって仕組まれた…
まるで手の込んだ悪戯のように、思えてしまうのだ。
悪戯…
イタズラか…
こういう風に単語にしてしまうと、なんだかこれも陳腐なモノになってしまう気がする。
いや、陳腐というよりはチープだろうか…
まぁいい…
こんな風に言葉を使って、誰もが読んでいるかはわからないプロローグを、イタズラに長引かせても仕方がない。
それにこんなところで、こんな物語にすら入っていない、序章の前の前座的なこの文で、ツラツラと悪戯とか嘘とか、そういうモノについて僕が独り手に語っても仕方がないのだ。
なぜならこれは…
今回する御話は…
そういう悪戯に振り回された、不死身である僕と、元は殺人鬼であった柊が…
仕組まれていたことにまんまと引っ掛かり、全てが賢くも美しい、誰もが恐れる狼の様な牙を持つこの少女…
恐ろしくも美しい、月夜に輝く悪戯の…
花影 沙織 (はなかげ さおり) についての物語なのだから。
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