手紙を読んだ者たち

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手紙を読んだ者たち

「……以上です」  僕は手紙から顔を上げた。母親は「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返しながら泣き崩れ、父親は声が枯れることも厭わず泣き叫び、姉は呆然と立ち尽くしたまま涙を流していた。しかし、「中瀬ヒカル」という名札が付いたベッドに横たわる青年は目を覚まさない。心電計の音が淡々と鳴り続くだけである。  捜査がひと段落し、僕は先輩刑事とともに被害者の病室にいた。被害者の様子を見ると同時に、駆け付けた家族に事件概要と捜査結果を報告するためである。 「倒れている彼を発見したのは、近所に住む主婦でした」  泣き声と機械音に割って入ったのは、隣に立つ同業の先輩だった。手紙を読めと指示したのはこの人だった。 「花壇に倒れているところを発見したそうです。そのまま救急搬送され、手術が行われ、今に至ります」  母親と父親は、息は荒いものの声を鎮め、姉はまだ放心しているようだが、目はこちらに向いていた。  手紙を読んでから事件概要を説明すると言われ、僕は手紙を読む役を任された。先輩の指示通りに動いただけなのである。 「我々警察は、彼の発見当時の状況から自殺未遂として捜査を始めました。その結果、彼は二階の自室から庭の花壇に身を投げたと分かりました。花壇の深さは約〇・四メートル。主治医によれば、土がクッションになって死なずに済んだそうです」  済んだと言っても、意識不明の重体である。決して無事ではない。目を覚ましても打撲の痛みが全身を走るだけだ。 「一人の人間としては喜ぶべき事実なんでしょうが、自殺を疑って捜査していた我々にとっては頭を抱える分析でした。死のうとしていたなら、なぜ固い地面を選ばなかったのか。言い換えれば、なぜ確実に死ねる方法を選んだのか――可能性は二つ。死のうと思ったが考えが足りず死にきれなかったか、そもそも死ぬ気がなかったか」  手紙に答えがありました、と先輩は続ける。 「どちらにせよ、警察では自殺未遂として処理します。罪にはなりません。ですが、彼がここまで追い込まれたのは事実です。それを忘れないでいただきたい」  先輩の言葉が、心電計の音と重なって虚しく響いた。涙を流す者はもういない。ただ呼吸することすら許されないような空気が漂った。  僕はようやく手紙を封筒にしまい、封を折って「これはみなさまにお渡ししておきます」と、一番近くにいた母親に渡した。母親は感謝するでも謝罪するでもなく、無表情で受け取ってくれた。  それを見たのか、封筒から手が離れるとど同時に「行くぞ」と先輩から声がかかって、僕らは病室をあとにした。
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