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「あんさぁ、あれ、覚えとる?」
「……ああん? 何をや?」
「あれよ、あれ」
「ヒントなさ過ぎやろ」
「うまく伝えられへん」
「ほな、分からんとしか言いようがないわ」
「ほなええわ」
「ええんかい」
細く開けた窓に紫煙が吸い込まれていく。
短い煙草がじゅっと音をたて、灰皿の中で消えた。
四畳半の和室。
櫻井はコントローラーのXボタンを叩いた。木下は灰皿に溜まった水に灰が広がるのを見ていた。
二人は定職につかず、日が傾くのをおもむろに待つ。ひまを持て余すように一世代前のゲーム機で遊んでいた。
木下が握るコントローラーのLボタンはバカになっていて、必殺技が出せない。櫻井がその隙をつき、タイミングよく必殺技を出した。
櫻井が勝った。
いつものことだ。
木下、櫻井ともに見慣れた『2P WIN!』の画面を見ながらぬるい水をすすった。
「もうこんな時間やんけ。バイト行ってくるわ」
「ん、行ってら。俺んが遅えかもやし、鍵忘れんとって」
「なんでお前のが遅くなんねん」
「んーー。ちょっと、あんねんよ」
櫻井はのろのろと立ち上がり、痺れた右足首を揉んだ。
「ちょっとって?」
櫻井はまだ畳に寝そべる木下に問いかけた。首もとがだらしない部屋着から、一応は襟があるだけマシな作業着に袖を通す。
木下は残った水を飲み干し、そそくさと着替える櫻井を見上げた。
「ちょっとはちょっとやわ、あんねんよ」
そう呟くように言い、木下は櫻井への目線を切った。そのまま隅にあるギターに手を伸ばした。弦を弾いた。
櫻井はその背中を睨んだ。
「そういう意味深で会話とめるんやめろ言うてるやろ。きもちのわるい」
櫻井は寝癖で朝からハネていた髪を乱暴に水で押さえつけた。
「ごめん。なんでもない」
「なんでもないなら言うなや。ほな行くわな」
ボロボロのリュックを背負い、櫻井は玄関先のヘルメットを頭に乗せた。玄関扉のノブに手をかけると、うめき声のような金属音が軋む。
「鍵、持ってってなぁ」
木下があぐらの真ん中にギターを置きながら櫻井へ声をかける。鍵のことを忘れていた様子の櫻井が乱暴に下駄箱上に置かれた鍵をつかみ取った。
「分かっとるわ。ほな」
玄関扉が細かな錆を落としながら閉まった。室内に残った木下は扉の向こうに消えた櫻井の背中を見ていた。
首を横に振り、小さくため息を吐いた。
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