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高い壁ではなくて、分厚い壁だと。
冷静に告げる彼女は、再び口を開く。
「自分を曝け出すのがいつも怖くて、それに、誰にも本当の私は望まれていないと思っていました。
“私はこうあるべき“みたいなものを勝手に形成して、
諦めて、分厚い壁で心を覆うみたいな、そういう拗らせ方をしてました。」
「…こうあるべき、ですか。」
「私の場合は、"いつも笑顔でおしとやかな保城 紬"ですかね。」
気恥ずかしそうに言いながら、頬にかかったふわりと揺れる後れ毛を避ける保城さんは、とても穏やかに微笑んだ。
「…そういう強張りをね、この会社の方々と仕事する中で、解いていただいた気がします。
"素の姿も良いよ?"って言ってくる人たちに出会うと、私は自分が思う以上に脆かった。
塗り固めた姿は、自分が望んでいたものじゃなかったから、余計です。」
「……、」
「榛世さんは、いつもあるべき自分と戦ってる方だと南雲さんが仰ってました。
その"自分"は、
ご自身で心から望まれたものですか?」
"私には「仕事」しか無いから。
これを無くしたら、私、もう何も残らないから。"
保城さんの問いかけと、自分が心でいつも繰り返してしまうことが錯綜した。
たった一つ、仕事だけを大切に生きること。
____これは、私の本心?
言葉に詰まった私を、じっと見つめるくりっとした瞳が優しく細まっていく。
「…出過ぎたことを言ってごめんなさい。
考えを改めろとか、そういうことを伝えたい訳ではないんです。
ただ、ちょっと忠告をと思って。」
「忠告ですか。」
「この会社の方々は、危険です。」
「え。」
突如告げられたことに驚嘆の声を漏らすと、それまで見せていた笑顔に、悪戯を仕掛けるようなあどけなさが垣間見えた。
「さっきも言った通り、人が頑張ってつくった壁を"何これ?邪魔だなあ"って、無邪気に壊してくる感じです。
良くも悪くも、とても真っ直ぐなんですよね。」
「……それは、怖いですね。」
だけど何となく、保城さんの説明は腑に落ちてしまった。
数週間、取材をしているだけでも分かる。
失敗の方が遥かに多いのだと言いながら営業の仕事に奔走する梨木さんも、いつも見せてくれる資料の緻密さから伝わる程、このオープンオフィスプロジェクトに凄く熱意を持つ土方さんも。
そしていつも柔らかい笑顔で、全然スマートじゃ無い、がむしゃらな働き方をする南雲さんも。
ありのままの姿で真正面からぶつかってくるあの人達に、今の私はどう映るのだろう。
「ちなみに私は、缶ビールとサキイカが大好きなんですよ。どすっぴんに、よれよれのスウェットでコンビニに行きます。」
「え。」
「……そんなの絶対誰にも晒せないと思ってたのになあ。枡川さんとか、私の干物姿が可愛いって言ってくるんですよ。変でしょ?」
「……」
突然カミングアウトされたことに驚いて目を丸くしながら瞬きを繰り返すと、可笑しそうに肩を少し揺らして保城さんが笑う。その表情は、とても晴れやかに見えた。
そして、彼女の発言の引っ掛かりに気がつく。
___枡川さん"とか"
「…他にもそう言う方が居らっしゃるんですね。」
「榛世さん、鋭いですね?」
びっくりした表情になった彼女が、観念したかのように微笑んだ表情が今日見た中で1番可愛かった。
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