ガントリークレーンのドラゴン

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ガントリークレーンのドラゴン

  チカが姿を消したのは休み時間中、学校の廊下でのことだったという。その瞬間を見たものは何人かはいたはずだが、騒ぎにはならなかったそうだ。  それは数秒で始まって終わるようなことだから、目撃者も自分の認識のほうを疑ってしまう。きっと目の錯覚だったのだろう。たとえばそんなふうに理由をつけて、目の前で起こったことを合理的に解釈する。  それ以後、チカは二度と登校しないわけだが、家出も不登校も珍しいことではないし、誰もが自分のことで忙しい。ニュースにもならないし、バズるには新味が足りない。そうして皆忘れられていく。ユキも、ナツも、チカも。  みんな鏡に吸い込まれて消えたんだ。  俺がそう主張して、誰が本気にするだろう。  q-phoneのユーザー規約に書いてあるんだ。  そう言い立てたところで、誰が相手にするだろう。  結局のところ日常は続いていく。  ドラゴンが現れても。  札幌が消滅しても。    その日俺は、再び展望台を訪れていた。  ドラゴンはまだそこにいた。  まるで飼いならされた鳥のように、ガントリークレーンの上で身動きもせず、羽根を休めていた。  ドラゴンに聞けとシンさんが言ったとき、俺は言い返した。  そんな馬鹿な。ドラゴンがq-phoneを持ってるとでもいうんですか、と。  シンさんは言った。  これがq-phoneだ。剥がれ落ちたドラゴンの鱗がq-phoneになるんだ。NQCがq-phoneを開発したんじゃない。それはもともとドラゴンの力だったんだ。   「俺の友達と好きな女が消えた。おまえのせいなのか?」  ドラゴンの巨大な頭が、こちらを向いた。ぞっとするような無表情。 ——君たちの種族の個体の識別は、私の得意とするところではない。だがたしかに、魂の収穫に関しては、君たちの代表との契約の上で行っていることだ。 「魂の、収穫?」 ——いかにも。君たちの世界を離れた者たちの魂は、純粋なエネルギーとなって私の体内を循環している。みずみずしい新鮮な魂を受け容れるときは、いつも心地よいものだ。君たちがその感覚を知らないのは、残念なことだよ。 「大人たちは、何故そんな契約をしたんだ」 ——サッポロといったかね、あの集落は? 再びサッポロのようなことが起こらないためだ。君たちの言う水銀のドラゴンから、この世界を守るためだ。 「お前は何故、水銀のドラゴンと戦っているんだ」 ——戦わねば、魂の収穫の機会が得られないからだよ。   送られてきたその概念は、理解に数秒を要した。 「水銀のドラゴンとおまえの違いは何だ」 ——特になにも。私は彼ではないという以外、違いはない。 「じゃあ、子供たちが生贄にされているのは、何の対価なんだ」 ——君の言うことはよくわからない。私たちは、魂の収穫を行うように創造された存在だ。契約があろうとなかろうと、君たちの代表がそのことを秘密にしようとするまいと、私たちは定められたようにふるまう。生贄と言い、代償と言い、対価と言う。それは、君たちが避けがたい摂理を受容するための合理化に過ぎないのではないかね。  つまりそれは、宗教なのだ。  牧場の家畜が、自分たちの死が無意味ではないと信じるために作り出した物語。状況を変えられない者たちが、それでも自分たちは無価値ではないと思い込むための神話。  NQCがそれにのっかって巨万の富を築き上げたのは事実だが、それはどうでもいいことに思えた。  少なくとも、社会悪として断罪することなどできない。俺たちがみんな、NQCの作り出した豊かさの上で生きているのだから。  NQCに非難を込めて突きつけた指先は、鏡映しのように自分自身に返ってきてしまう。  俺はそれ以上ドラゴンと話すことをやめて、展望ラウンジを去った。  エレベーターに乗る。加速度の感覚に包まれる。  展望台から出ると、また雨だった。  傘を持ってきていなかったので、俺は濡れながら歩いた。  できることはない。やるべきことも、守るべきものもない。  ナツやチカに、無性に会いたかった。  収穫された魂はドラゴンの体内で、少しでも記憶や人格を残しているのだろうか。  多分、そういうものでもないのだろうな。それでも俺は、あいつらの行ったところに行きたい。あいつらと一緒になりたい。    だから誰か、俺を承認してくれないか。  収穫対象に俺の名が記された規約を承認して、俺が消え去ることに同意してくれ。  今俺は、それだけを待っている。                                   了  
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