File1

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 朝目覚めてまず視界に飛び込んできたのは、空間に浮かぶ、『承認する』『あとで承認する』の二つの文字列だった。  q-phoneのユーザー規約とか、そういったものだ。毎朝というわけではないが、不定期に送られてきて、直接視覚に投影される。そのレイヤーの一枚向こうには、承認するべき内容を示した文章が数千文字という勢いで表示されており、『承認する』『あとで承認する』のどちらかを選択しないかぎり消えない。俺は内容を読まずに『承認する』に視点を合わせ、しっかりと二度瞬きをする。昔のスマホなら、タップにあたるジェスチャーだ。  待機状態にあったq-phoneの機能にアクセスできるようになり、そして俺は自分の記憶領域に、ナツの署名のあるファイルがいくつも存在することに気づくのだ。  ナツとは学校で会える。そうでなくても、q-phoneで知覚を直結して、リアルタイムで会話することもできる。メールを送ってくるようなこのまわりくどいやり方に俺は困惑した。  俺はナツに、知覚直結を要求するコールを送った。 >ご指定のユーザーに接続できません。  帰ってきたのは自動化されたそっけないメッセージだった。  q-phoneはこれ以上はないほどシンプルな、金属製の平たい腕輪で、それを手首に通すことでユーザーを認識し、その知覚や記憶にアクセスする。手首から外すことはできるが、電源を切ることはできない。それは破壊されないかぎり、二十四時間休みなく集合記憶とつながっている。  俺はやり方を変えた。ナツの位置情報を要求した。 >ご指定のユーザーの位置情報が取得できません。  わずかな遅延のあとに、そうメッセージが返ってきた。  それはありえないことだった。  q-phoneの端末自体がネットワークを形成して、すべてのユーザーの固有脳波パターンを識別・追跡している。  少なくとも位置情報に関して、圏外なんてものはない。  そのはずなのだ。  だから、考えられることはひとつ。    ナツは、いなくなったのだ。            
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