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(この銀髪軍人は過剰に驚いたと思えば、どうしてしかめっ面をしているのだろう。円滑に職務を全うできそうだというのに。......むしろ私、感謝されても良いはずのに)
双方、利になる提案をしたつもりになっているベルは、目の前にいるレンブラントを見て首を傾げる。
何を考えているのかさっぱりわからなかった。
もちろん、そこに恋慕の情が混ざった苛立ちに気づくことすらなかった。
昨日伝えられたレイカールトン侯爵との結婚話は、ベルにとって大変衝撃的なものだった。
しかし、会ったことの無い男の妻になるという恐怖よりも、思いがけない幸運に衝撃を受けたのだ。
ベルはケルス領を出たかった。人知れずこっそりと。
そして自力で王都に辿り着いたら、とある人に助けを求めるつもりだった。
ケルス領は表面上は平穏だが、実のところ危機に瀕している。現辺境伯フロリーナの力不足のせいで。
しかも、それだけじゃない。フロリーナの娘である長女ミランダは既に結婚している。次期辺境伯となるため婿養子を取ったのだ。
その男がまた曲者で元軍人でありながら汚職や横領といった、統治者の親族としてあるまじき行為をしているのだ。
また近々結婚する予定の次女レネーナの婚約者も軍人ではないが、せっせと汚職に協力をする救いようのないクズ男だったりもする。
ベルはその事実を事細かに知っている。けれど、それを止める手立てがない。
だからこの状況を打破する為には、自分ではなく成人して権力のある人の手を借りなくてはならなかった。
その相手が、なんとも驚きなのだがレイカールトン侯爵だったりする。世間というのは意外に狭いものだ。
……とはいえ、ベルはレイカールトン侯爵の年齢も容姿すら知らなかった。
レイカールトン侯爵を頼れと言ったのは、ベルが信頼を寄せる数少ない一人である執事のパウェルスだ。
もちろん、己を結婚相手として望んでいることなどベルは露程にも知らなかった。パウェルスからもその件については何も聞かされていない。
でも、そんなことはどうでも良い。
ベルの望みはただ一つ。一分一秒でも早くレイカールトン侯爵に会って、事情を説明して、ケルス領を救って欲しいだけ。
その対価として、自分を望んでくれるなら喜んで差し出す……なぁーんていうつもりは無い。それはそれ、これはこれ。自ら悲劇のヒロインになるほど、ベルは自分の不幸に酔ってはいない。
それにわざわざポケットマネーをはたき軍人を使って自分の元に呼び寄せようとしているレイカールトンさんには大変申し訳ないが、ベルは一生結婚する気は無い。いや、したくないのだ。
自分を生み出してくれたかけがえのない存在だと思っていたものから、いとも簡単に裏切りられ消えてしまったから。女性なら誰もが一度は憧れる結婚とやらに、意味を見いだすことはできなくなっていた。
だから侯爵様との結婚は、もう少し大人になってからとか、ケルス領が落ち着くまでは待ってほしいとか、適当な理由を付けて先延ばしにして、そのままフェードアウトするつもりでいる。
なにより、この話はいけ好かない銀髪軍人から聞いたもの。かなり胡散臭い。
(だいたい持参金ゼロ、可愛げゼロ、そんでもって成さぬ仲とはいえ下種の極みの権化が親族にいる私と結婚したいだなんて狂気の沙汰としか思えない)
「───……なぁ、あんたはレイカールトン侯爵のことを知っているのか?」
うっかり気を余所にむけていたら、レンブラントの苛立った声がしてベルは我に返った。
「……は?」
「”は?”じゃない”は?”じゃ。あんたは相手のことを何も知らないのに、結婚できるのかって聞いているんだ」
「はぁ、まぁ……できるといえば、できますが......」
さすがに利用だけさせてもらうとは言えないベルは、ごにょごにょと濁った返事しかできない。
途端に、レンブラントの眦まなじりが吊り上がる。
(ヤバイ。上手く誤魔化さないと)
レンブラントに疑われるのは、得策ではない。
レイカールトン侯爵はどうやら自分に好意を持ってくれているようだけれど、レンブラントがいらんことを告げ口した場合、結婚話自体を取り消す可能性は大だ。
侯爵様に事情を説明した後ならどうなろうと構わないが、たどり着くまでは不信感を持たせてはいけない。まるっと信用してもらわないと。
そんなことを考えるベルは、何食わぬ顔をしながらも、背中は冷や汗でびっちょりだった。
でも、レンブラントの眼力はどんどん強くなる。いわゆる軍人モード全開で尋問する気満々のご様子だった。
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