200人が本棚に入れています
本棚に追加
口は禍の元。うっかり余計なことを喋れば、取り返しのつかないことになる。
けれども、時として無言でいるのは、状況を更に悪くする。
ちなみに、現在ベルが置かれている状況は後者だ。
「もう一度聞くが、あんたは会ったことも見たこともない男と結婚できるのか?ちっとは悩んだりしないのか?」
唸るような口調と軍人特有の鋭い視線に耐え切れず、ベルはそっとレンブラントから目を逸らして口を開いた。
「……け、結婚なんて、所詮は契約。相手がどんな人かわからずに婚約するなんて……ざらにあることじゃないですか」
「ほう」
すかさずぞっとするような声が返ってきて、ベルは首がぐぎぎっと軋むほど捻った。
でも、強い視線はベルを逃すことはしない。どこまでも追いかけてくる。
「ガキのくせに、いっぱしの口を利くじゃねえか」
「なっ」
嘲りを含んだ低い声は、ベルを憤らせるには十分だった。
ベルはこれが挑発だと気付かず、背けていた顔を元に戻す。だが次の瞬間、びくりと身体が震えた。
レンブラントは静かに怒っていた。
黄色とオレンジ色の間のような瞳は、まるで刃物のように冴え冴えとしている。
「あんたはさぁ」
「……はい」
「男と女が結婚するっていうのが、どういうことか知っているのか?」
「知っていますよ、それくらい」
「じゃあ、言ってみろよ。男女が結婚したらどうなるのか」
顎でしゃくるように続きを促したレンブラントを、ベルはキッと睨み返した。
(なんなのよ、このおっさん。馬鹿にするのも大概にしてよね)
見た目は栄養不足のせいで、年齢より幼く見えるかもしれないが、もう18だ。領地の危機を回避するため単身王都に乗り込めるくらいには成長している。
と、ベルは自己評価している。そしてその評価だけが、今のベルを支えている。
「結婚とは新しい家庭を築くこと。あと社会的な立場や地位を確立することです」
「はっ」
100点満点だと思っていた答えだったのに、あろうことかレンブラントは鼻で笑いやがった。
しかも大仰に拍手まで追加する。完璧な煽り行為だ。
これ以上ない程屈辱を受けたベルは、文句の一つでも言おうと口を開こうとする。
だが、それよりも先にレンブラントが言葉を続ける。
「あんたは何にもわかていない」
「わかっていますよ」
「いや。教会が無料配布している教本に出てくるような答えしか言えないようじゃ、まだまだガキだ」
「なっ」
我慢の限界を超えたベルは、思わず立ち上がってしまう。
でも、すぐに車輪が小石を蹴ったせいで馬車が大きく揺れ、ベルの身体はバランスを失い、ぐらりと傾いた。
それを予期していたのだろう。レンブラントは慌てることなく、無言でベルの腰に手を回す。
そして強い力で、自分の方へと引き寄せた。
「───……お嬢ちゃん、良く聞け」
成り行き上仕方なくレンブラントの膝に着席したベルの耳に、そんな言葉が落とされる。
驚いて顔を上げれば、唇が触れそうな程近くに、レンブラントの顔があった。彼は今まで見たことも無い表情をしていた。
「結婚ってのは、男が女を好きなだけ抱けるってことなんだ」
「っ!?」
耳に注ぎこまれるように囁かれた言葉に、ベルは飛び上がらんばかりに驚いた。
いや、実際には本当に飛び上がろうとした。
でも、レンブラントの腕はがっちりとベルを捕まえている。苦しくは無いが、逃れることはできないという絶妙な力加減で。
そしてこんな体勢では、レンブラントの囁きからも逃れることができない。
「つまりさぁ、あんたは」
「……ひぃ」
「知らない男とでもヤレる女ってことなのか?」
「……ち、ち」
───違うっ。絶対に嫌だっ。
そう叫ぼうと思った。
けれど、それを口にしてしまえば、レイカールトン侯爵を利用しようと思っていることに勘付かれてしまうかもしれない。
そんな小狡い計算から口を閉ざしたベルに、レンブラントはふーっと深く息を吐いて前髪をかき上げた。
大きな手のひらがレンブラントの顔を隠す。でもそれはあっという間の事。
ただ、次に前髪が額に降りて来た時には、レンブラントは別人のようだった。
瞳は先ほどまで刃物のように尖っていたのに、違う意味で危険な色に変わっていた。
最初のコメントを投稿しよう!