序章 値切りは連行の始まり

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 再び裏路地に秋風が吹く。  表情が消えたベルの髪を揺らす。銀髪軍人の髪も同様に。  時間稼ぎのためにベルは頬に掛かった横髪を、ゆっくりと耳にかける。  銀髪軍人は自分の名を呼んだ。二度も、間違えることなく。  つまり、人間違いではないのだ。自分を連行する為に、彼らはここにいる。  そして、拳銃を構えている下っ端軍人達は、皆、無表情。上官の命令一つで迷うことなくトリガーを引く意思がヒリヒリ伝わってくる。 (ああもうっ、どうにでもなれっ)  追い詰められたベルは、そんなやけっぱちなことを心の中で叫んで───……銀髪軍人に向け、こくりと小さく頷いた。  ベルが同意すれば付いてくるのが当然といった感じで、銀髪軍人はすぐに歩き出した。  その態度がどうも鼻に付いて、ベルはやっぱり逃亡してやろうかと思ってしまう。  でも、あっという間に前後左右に詰襟軍人に囲まれてしまった。  ちなみに彼らの手には未だに拳銃がある。  銃口はさすがに向けられいないが、自分が背を向けた途端、迷わずトリガーを引くこと間違いない。  ベルは背中に穴が開いた自分を想像して、またバケットを強く抱きしめる。  さっきから力任せに抱いているソレは、もはやパンとは程遠い物体に変わってしまった。  けれど、この状況で捨てることも、まして口に含むこともできず、ベルはそれを抱えたままとぼとぼと歩を進める。  それから歩数にして十とちょっと。移動というには短い距離を歩いた先には、真っ黒な馬車が待ち構えていた。  見るからに軍御用達。そしてご丁寧にも、窓には逃亡防止の為の鉄格子が付いている。  これに乗り込む自分を想像して、ベルは情けなさに泣きたくなった。 「乗れ」  躊躇しているベルに、銀髪軍人は感情の読めない声で乗車を促した。  いや、促すという表現より、命令と言った方が正しい口調だった。 それでもベルの足は動かない。  一度は頷いたものの、これに乗るということは、どこかに連れていかれるということになる。  そして向かう先は、間違いなく牢屋とかそういう類のところ。まかり間違っても年頃の少女が喜ぶ場所ではない。 「……あの、私はどこへ」 「黙って乗れ」  ダメもとで銀髪軍人に問うてみたけれど、返ってきた言葉は望まぬものだった。  思わず男の顔を見れば、あろうことか睨み付けられてしまった。罪人相手に説明をするなど手間でしかないのだろう。  例えそれが身に覚えのないことだとしても、この男にとっては関係ないようだった。   ベルは世界中にいる銀色の髪を持つ人間が嫌いになった。  あと心の中で「これだから軍人は」と悪態も吐く。  ベルはとある出来事がきっかけで、軍人嫌いになった。そして今回の一件で、来世まで軍人を毛嫌いできる自信がついた。なんなら、その次の来世だってイケる気がする。   でも、そんなことを口に出すのは詮無いこと。だからベルは嫌々ながら馬車に乗り込んだ。  座席に腰かける前に、扉が閉まり乱暴に施錠される音が響く。  それから馬車は、何かに追い立てられるかのように勢いよく走り出した。  鉄格子の隙間から流れるように過ぎ去っていく景色を、ベルはじっと見つめる。  街は変わらず賑わっていた。  そしてとても平和だった。一人の少女が軍人に連行されたことなど、なかったことにして。 「……こうなったら、仕方がない。覚悟を決めよう」  ベルはこつんと窓に額を当てて独り言ちた。  何の因果かわからないけれど、望まぬ歯車が回り始めてしまったのだ。  神様とて、時間を巻き戻すことはできない。  それに巻き戻す必要も、きっとないはずだ。  ベルはケルス領を出たかった。とある目的の為に。  そしてその時の為にとずっと前から準備をしていたのだ。あとは気持ち次第というところまで完璧に。  だから今日の理解不能な出来事は、もしかしたら腰が重いベルにしびれを切らした神様が、「さっさと行け!!」と背中を押してくれたのかもしれない。  そう思ったら全てがストンと胸に落ちた。  でも神様からGOサインを貰っても不安はある。この行動が、大切な人達を傷付ける結果となるのは目に見えているから。 【ベル様、どうかご自身がその時と思われた際には、我々のことは捨て置いてください】  後ろ髪を引かれるベルを叱咤するかのように、師匠の言葉が脳裏をよぎる。 (よしっ。気持ちを切り替えよう!)  ───パチンッ。  ベルはためらいを消すために両手で頬を叩いた。  そして目を閉じ気持ちを切り替える。  目的を成功させるの為に、この移動の間にちゃんと考えようと決めた。これから自分がどう動くのが最善なのかを。  軍御用達の馬車はお世辞にも乗り心地が良いとは言えない。  丈夫さだけが売りのようで、車輪の音が車内まで響いてくる。うるさいことありゃしない。  ベルは更にきゅっと目を瞑って、思考の妨げになる全てを排除した。
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