4.女神の一本釣りと、とある軍人の涙

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 ───トン、トン……ガチャ。  控え目なノックの後に「失礼します」と言って三つ編みが良く似合う若いメイドが箱を手にして部屋に入って来た。  そのおかげで臨戦態勢に入っていたフローチェとガドバルドは一時休戦を選んでくれたようで、ベルは名も知らないメイドに心から感謝した。  ただ三つ編みメイドは、ベルの思いに気付くことなくフローチェの前に立つ。 「お嬢様、ご依頼品が届きました」   「あら、意外に早かったのね。ありがとう。受け取るわ」  にこっと笑ったフローチェにメイドは一礼すると、静かに部屋を出て行った。  それからすぐにフローチェは箱の蓋を持ち上げにんまりと笑うと、執事に向かって口を開く。 「ガドバルド、あなたも下がりなさい。女の子のお着換えをするのに、殿方の存在は邪魔なだけだから」 (女の子のお着換えって……まさか、私??)   ベルは嫌な予感がしてティーカップをソーサーに戻すと、そそそっとフローチェから距離を取ろうとする。  しかし、ちょっと身動ぎした瞬間に、がしっと腕を掴まれてしまった。ぎょっとして、顔を腕の持ち主に向けるとしっかり目が合った。  長いまつ毛に縁どられたその瞳は『絶対に、逃がさないわよ』と訴えている。  その目力たるや、さすがレンブラントの親族!と思わせる圧があった。  ……ベルは絶対に逃げ切れない未来を悟り、己の運命を受け入れた。  そしてそっと息を吐いたと同時に、ガドバルドがフローチェに礼を取り部屋を出ていく。  ただベルとすれ違う瞬間、『どうしてもお辛くなったら、お助けに参ります』と囁いてくれた。  一介の執事にしては随分優しいことを言ってくれるなとベルは思ったのだが、それはガドバルドが一介の執事ではないからで。  でも、彼の正体を知るのはもうちょっと後のこと。  そんなわけでベルは意味が分からないまま、フローチェの着せ替え遊びに付き合わされることになった。 ***  「あーもー、なんて可愛らしいのっ、ベルちゃん。ああっ、もう王都中のドレスを着て欲しいくらいだわ」 (いや多分、それらを着終える前に、私は死ぬと思う)  疲労困憊になったベルは、ソファにだらしなく座りながらそう思った。  ちなみにラルクは、まだこのサロンにいる。  覗き見防止の為に、壁に額を付けた姿勢を強要されている。かなり苦しい態勢のはずだが、文句一つ言わずに大人しくしている。  さすが軍人、体力と持久力がありますねと言いたいところだが、多分、ちょっとでも身動ぎした際のフローチェからお仕置きが怖いのだろう。  その気持ちが良くわかるベルは、ただひたすらフローチェのリクエストに応えていく。  そして二十数着目で、ようやっとフローチェの何かが満たされた。 「よしっ。これに決めた!───…… じゃあ、ラルクあなたも着替えてきなさい」  満足げに頷くフローチェは、顎でラルクに指示を出す。  そうすれば壁ピタから解放されたラルクは「かしこまりました」と弱々しい声を出しながら、ベルと入れ替わりに衝立の向こうに消えていった。  ──── それから数分後。 「初めましてラルクお姉さま。妹のベルです」 「……ベル様、その冗談笑えません」 「ごめんなさい」  苦々しい顔をして見下ろすラルクに、ベルは素直に謝罪した。  しかし、撫子色のかつらを被って、ふわりと裾が広がった橙色のドレスを着た今のラルクは、お姉さまと呼ぶのが一番ふさわしい。  ちなみにラルクが被っているかつらは、先ほどのメイドが届けてくれたもの。  つまりフローチェは、ラルクの女装を楽しんでいたわけでない。どうやらこれは─── 「撒き餌よ、撒き餌」  ベルの思考に気付いたフローチェは、にやりと挑むように笑った。  フローチェの奇行の理由がわかった途端、ベルは表情を改めた。 「やはりそうですか。ですが、ここでお世話になっているだけでも心苦しいのに、これ以上のお気遣いは無用です。レンブラントさんから何を頼まれたのかわかりませんが」 「ふふっ、わたくしは、わたしくのやりたいことしかやらないの。で、これはわたしくがやりたいことだから、大好きなベルちゃんだって邪魔はしちゃだめよ。はい、このお話は終わり。───で、ラルク」  ベルの言葉を遮って、恐ろしいほど自己的な理論を展開したフローチェは強引に話を終わらすと、ラルクに向けてとんでもないことを要求にした。 「身長差だけはどうしようもないから、あなたちょっと足を切ってみない?」  滅茶苦茶としか言いようがないフローチェのお願いは、さすがに叶うことはなかった。  ただ翌日からラルクは、撒き餌と言う名の女装をして近くの街を徘徊した。  その結果、女神は見事に大物を釣り上げた。
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