【私は】【俺は】─── この時をずっと待っていた

1/26
180人が本棚に入れています
本棚に追加
/117ページ

【私は】【俺は】─── この時をずっと待っていた

 フローチェが帰ってこない。  その事実をベルが知ったのは、翌日だった。  もちろん夕方になっても、夜になってもフローチェが帰宅しないことを屋敷の使用人たちは不審に思っていた。  だがしかし、ベルには「打ち合わせが長引いている」という体を貫いていた。  それは客人をむやみやたらに不安にさせてはいけないという配慮であり、また事前にフローチェから「不測の事態が起こっても、絶対にベルに気付かせるな」という厳命を受けていたから。  でも、勝手に気付かれてしまうのは、どうあっても防ぎようが無かったりもする───  翌日。ベルはいつも通りの時間に目が覚めると、のろのろとベッドから起きて、窓のカーテンを開けた。  そして手櫛で寝癖を整えながら、バスルームに移動して簡単に身支度を整える。  と、ここでしんとした部屋にノックの音が響いた。 「どうぞ。起きてます」  この時間になるとハイテンションなフローチェがやってきて、その日の天候や気分で勝手にドレスを選ぶのが日課になってしまったので、ベルは警戒することなく声をかける。  自らの手で扉を開けないのは、開けた途端にフローチェが抱きついてくるからだ。  女子同士のスキンシップにおいて、過度であればあるほど親密な証なのだとフローチェは豪語するが、女子同士でじゃれ合う機会に恵まれなかったベルとしては、できればご遠慮したい。  そんなわけで、ベルは安全な距離を保って入室を許可する。  しかし、ガチャリと音を立てて扉を開いた人物は、毎朝目にする女神ではなかった。 「おはようございます、ベルさま」 「……お、おはようございます」 (ん?なぜメイドさんがこの部屋に来る??)  一先ず朝の挨拶をしながら、ベルは首を傾げる。  昨日フローチェは商談で外出して、その後、会食に誘われたので帰宅が遅いと聞いている。  正直、義理の姉二人がまだ近くの街に潜伏している可能性が高いので、できれば不要な外出は避けて欲しかった。でも、仕事と言われればベルは口を挟むことができなかった。  それにフローチェと共に出掛けた護衛騎士は、ラルク曰く、かなり剣を扱えるらしい。  ベルもそれなりに師匠から稽古を付けてもらっていたので剣に覚えはある。お散歩ついでにラルクと稽古しているのをチラッと見ただけではあるが、ラルクの言っていることは嘘ではないと判断していた。  でも、フローチェは出掛けたまま、帰ってこなかった。  その事実だけが、今、眼前にある状態で、ベルは考える間もなく部屋に入室したメイドに声をかけた。  「あの......フローチェさん、どこに行かれたんですか?」 「ま、……街に、ございます」  もともと嘘を付くのが苦手なのか、それとも上手に嘘を吐けるほど気持ちに余裕がないのかわからないが、メイドは溺れてしまうんじゃないかと心配するほど目が泳いでいた。  すぐにベルは半目になって、メイドに詰め寄った。 「そんな子供騙しが、私に通用すると思ってるんですか?」  メイドにとったらベルは大切なお客様だ。そして屋敷の主から、なにも喋るなと厳命を受けている身だ。  しかしまだ若いメイドは、首を横に振りつつも、うっかり本音を漏らしてしまった。 「。我々はベル様の安全を第一にと命じられております」 (なるほど。言わないじゃなくって、、か。まぁ……私も、メイドさんを困らせたくはないしなぁ) 「あの……どうか、これ以上はお許しください」  問い詰められて涙目になってしまったメイドに、ベルははっと我に返る。  いつも嫌な顔一つせず、にこやかに自分の身の回りの世話をしてくれている彼女を責める気は毛頭ないのだ。 「そうですか。……なら、諦めます。もう聞いたりしません。困らせてしまって申し訳ないです」  素直にぺこっと頭を下げたベルに、メイドは恐縮したように両手左右に振る。 「と、とんでもございません。あの......大丈夫です。フローチェ様は、すぐに戻られますから」 「うん、教えてくれてありがとうございます。で、えっと、身支度は一人でできるので、お茶をいただいてもよろしいでしょうか?」  居心地悪そうにしているメイドを気の毒に思って、ベルは喉は乾いてないけれど、そんな提案をしてみる。  そうすればメイドは、「すぐにお持ちします!」と言って、弾かれたように部屋を出ていった。 「───......さて、と」  大急ぎで着替えを終えたベルは、窓を開ける。  ここは2階。そして下を覗けば、幸いにも人影は皆無だった。今回こそは窓から外に出れそうだ。 (でもって、ここでメイドさんチョロいとか思ったらフラグになるよな。だから、絶対に言わない)  少し前にそんなことを思って窓からの逃亡を阻止されたことがあったことちゃんと覚えているベルは、むぎゅっと口を真一文字にした。  しかし、そんなことを思った時点で、既にフラグが立っていたようだった。 「ーー駄目だよ、ベルちゃん。今日はここにいて」  乙女の部屋に許可なく入って、そう言いながらベルの腕をつかんだのは、久方ぶりに見る濃紺髪の青年───ダミアンだった。
/117ページ

最初のコメントを投稿しよう!