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「……嘘だろ、おい」
剣と剣がぶつかり合う音に混ざって、クルトは呟いた。無意識だった。
今、目にしている光景が信じられなかった。
ほんの数か月前に片手で引きずった少女が、一蹴りするだけでゴム毬のように弾んだ華奢で非力な少女が、圧倒的な力を示しているのだ。
目を疑うとは、まさにこのことで。
それは他の人間も同じだったのだろう。知らず知らずのうちに、一歩、また一歩、後退していく。
視界の隅で人質達が解放され安全な場所に移動しているのを、なすすべもなく見つめることしかできない。
そんな中、大多数のごろつきを倒し終えたベルが、おもむろにこちらを向いた。
「───……ひっ……痛っ」
一瞬の間に無表情になったクルトの姿がぶれた。
ベルが彼の背に回し蹴りをしたのだ。次いで苦痛に呻くクルトに構わず、全体重をかけて彼の背中を踏みつけた。
「私、ずっとこの時を待っていたの」
ベルは笑みを浮かべて言った。いっそ無邪気と言っても良いほど、可憐な表情で。
だが、その瞳は鋭い刃物のようだ。おおよそ18歳の少女が持てる眼光ではない。
「絶対にあなた達を私は逃がさない。ケルスの民人として、現辺境伯として、その親族として、ケルス領で裁かれて。どこに行こうが、何を企んでいようが、私はそれを許さない」
会ったことも見たことも無いレイカールトン侯爵に助けを求めたかったのは嘘ではない。しかし、本意ではなかった。
本当なら……自分に絶対的な力があったなら、他の領地の人間の力を借りずに、この連中を力づくで裁きの場に連れ出したかった。
冷たい地面に跪いて首を垂れ、これまでの悪行を自らの口で語り、ケルス領の民に謝罪をしてほしかった。
そして最低最悪の辺境伯とその家族として生涯の幕を閉じて欲しかった。
無論、その時は領印を破壊し燃やした罪として、ベルとて自分の命を差し出す覚悟はできている。
しかし、あの時のベルにはそれを実行する力もなければ、勇気もなかった。もし、自分の力が及ばなかったとき、フロリーナ達はどんな復讐をするかわからなかったから。
被害が自分だけに及ぶのなら、それで構わない。
でも、自分以外の誰かに被害が及ぶのだけはどうしても避けたかった。ケルス領の民が八つ当たりの対象になるなんて正気じゃいられない。
前辺境伯のラドバウトは領民の為、国の為、最期まで恥じることなく辺境伯を勤めた。
すれ違ったまま死に分かれてしまったけれど、ベルは父親であるラドバウトが大好きだった。自慢の父親だった。
なら、その実の娘である自分は亡き父親が誇りに思ってくれるような`人生を、歩まなければならないとベルは思っている。
もう父の魂は居なくなっても、恥じることも、俯くことも、後ろめたさを感じることも、何一つ無いように。
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