サキと赤ん坊

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サキと赤ん坊

星灯りしかない夜だった。 寄せては返す波の音。 二本のナイフからポトポトと滴り落ちる、命の色。 足元で息絶えようとしているのは、ずっと一緒にいると信じていた人。 「サキ…。ウアラを殺したのは、俺でいい…」 「…」 「だから、もう…、誰も殺すな…」 さっきから煩いほどの鼓動と耳鳴りがやまない。 殺した。 殺した…。 誰が? 自分が。 誰を? 「ヤリ…」 滅茶苦茶に掻き乱される頭を抱え、二本のナイフが砂浜に落ちる。 狂った心は粉々に砕け落ち、空を割るほどの絶叫が波音に… 「んぎゃーー!!」 突然耳元で泣かれて、サキは飛び起きた。 額からは玉のような汗が大量に流れ落ちている。 「は、はぁ…、はぁ…」 手に残る生々しい感触に、夢と現実の境を彷徨う。 隣にはぎゃんぎゃんに泣き喚いている赤ん坊がいた。 大きく息を吐き、小さな手に触れると途端に現実に引き戻された。 「…なんだよ、コー。腹減ったのか?」 サキは汗を拭うと赤ん坊を片手で抱え上げ居間へと向かった。 慣れた手つきでミルクを作り、蕾のような口に押し当てる。 必死で食らいつくのを見ていると、やっと気が落ち着いてきた。 「…しっかし本当可愛げのない顔つきしてるよな、お前。この瞳のせいか?」 赤ん坊の瞼を押し上げると、ライムグリーンの瞳の中に猫か爬虫類のように縦に伸びる瞳孔が見えた。 それにしてもゴミのように捨てられていた頃を思うと、今ではだいぶ丸々してきたものだ。 「ふわぁ、まだ二時半か…」 ミルクを飲み終えたのを見計らい抱え直す。 あくびをしながら適当にポンポンと背中を叩いていると、突然赤ん坊は飲んだばかりのミルクを大量に吐き出した。 「んぎゃーー!!」 「うぇっ、まじか」 放っとくわけにもいかずに夜な夜な掃除と着替えを強いられる。 しかも最悪な事に赤ん坊の機嫌は悪くなるばかりで、いつまでもぎゃーぎゃー泣き喚いていた。 「おい、コー。…コーシ。早く寝てくれよぉ。俺明日は六時には行くってM-Aに言っちまったんだよぉ」 悪夢と夜泣きのコンボにやられ、結局ろくに眠ることもできないまま無常にも夜は明けていった。 翌朝。 大遅刻してきたサキに、連れのM-Aは特大の雷を落とした。 「お前なぁ!!今日は大事な日やって、あれ程念押したやろが!!」 サキは大あくびをしながら赤ん坊を指した。 「仕方ねーだろ?コーが昨日に限って夜泣きしたんだから」 「だからってなぁ!!…お?コーシ、お前もうそんなにハイハイ出来る様になったんか!?」 着せられた大きな古着を引きずりながら、赤ん坊はなんとか前に進もうと動いている。 「そうなんだ。最近やたらウロウロしだしてさ。おもちゃなんてねーし仕方ないから適当に廃材ばら撒いてたら、こいつ一丁前にいじろうとすんの」 サキはつんつんとコーシの頬をつついた。 その顔つきはどこか楽しそうだ。 M-Aはため息をつきながら頭をかいた。 「お前が赤ん坊なんか拾ってきた時は本気でどついたろかと思ったけど…。まぁ、そんな顔出来る様になってきたんやったらええわ」 「…」 サキは肩をすくめるとコーシを抱え上げた。 「…で?今日はザリーガのツラを拝めるんだろ?」 「お前、まさかコーシも連れていくつもりやないやろうな」 「え?そうだけど」 「ザリーガはスラムの巨魁やぞ。赤子を連れて行くて、アホかっ!」 サキは不敵に笑うとコーシを高く持ち上げた。 「いきなりラスボスに会えるんだ。コーにも見せてやらねーと」 M-Aは年下の連れを白い目で見た。 「何年つるんでてもお前の神経は分からんわ。なんにしても時間がない。…行くで」 「ああ」 二人は…もとい三人は、昼でも暗い裏路地へと滑り込むように入った。
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