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第3話 寄り添う二つの影
それから一ヶ月ほどして、コウちゃんは自宅に俺たちを呼んだ。遊びにおいでよという誘いで、それ以上でも以下でもない。
理桜のテンションは当然上がりまくったが、それを隣で見せられる俺の気持ちにもなってほしい。
コウちゃんが住むマンションのインターホンを押すと、すぐに応答して降りてきた。
美味しいものを御馳走するよと言って俺たちを中華街に連れていく。
理桜は嬉しそうに、でも恥ずかしそうにその隣を死守して歩いていた。
「理桜、いつもそれ首から下げてくれてるの?」
コウちゃんが指したのは、理桜が首から下げていた一眼レフの新作カメラだ。
理桜がハッと顔を上げてから笑う。
「そうだよ、できるだけいろんな瞬間を撮っていきたいんだ」
「はは、嬉しいな」
理桜がカメラレンズをコウちゃんに向けた。
コウちゃんは「お、俺? モデル代高いよ」と言って笑う。おどけてピースをした姿に、理桜が「オジサンっぽいなー」と吹き出した。
ばつが悪そうに頭を掻くコウちゃんの白い歯が輝いて、前腕には筋肉質な筋が見え、薄茶色の髪の毛は陽に透ける。
(これは爽やかさの権化)
後ろから付いていく俺はそう思いながら、見つめ合う二人を眺めていた、その時だった。
「コウちゃん?」
前方にいた女性が突然声を掛けたきた。
ぱたりと足を止めたコウちゃんが、手を上げて微笑んだ。
「佐那ちゃん!」
佐那と呼ばれた女性は駆け寄ってきて「わぁ、なんだコウちゃんも中華街に居たんだ!」と嬉しそうに言った。
隣にいた理桜と、その後ろにいる俺を見て会釈をすると「こんにちは」と笑みを見せる。
ショートカットで健康的な印象の女性だった。この間の女性とは違う。
コウちゃんは俺たちを手で示して「従兄弟の双子で、理桜と――尚桜」と紹介する。
佐那は俺たちの顔を交互に見て驚いた顔をした。
「双子ちゃんそっくりだね! しかも二人ともイケメンって、すごいじゃない!」
「だろ? 三ケ原一族の宝だよ」
理桜は戸惑いながらも、二人を見てその関係性を読み取ろうとしている。俺から見たら、もう嫌な予感しかないのに――経験不足からか、それすら感じ取れないようだ。
佐那の言葉に同調して笑うコウちゃんは、佐那を指しながら理桜を見た。
「今、お付き合いしてる井倉 佐那さん。大学時代からお世話になってるんだ」
「そんな……コウちゃんしっかりしすぎて、ぜんぜんお世話する余地なんてなかったじゃない」
笑う佐那を理桜が呆然と見つめている。俺は慌てて後ろから理桜の腕を掴んだが、まだぼうっとしたままだ。
コウちゃんは佐那と何かを笑いながら喋ってから「あ、そうだ」と思いつきを口にした。
「今から中華食べにいくんだけどさ、佐那ちゃんも一緒にどう?」
悪夢のような提案で、地獄のような時間が始まった。
中華料理独特の回転するテーブルで食事をシェアする間も、理桜は虚ろな視線でぼんやりしていた。
会話にも参加できず返答も上の空のため、俺は必死に取り繕いながら佐那と会話を続ける。
箸も進まないため取り分けてやると理桜はなんとかそれを口に運んだ。
佐那は何も知らずに楽しそうだ。
「尚桜くん、すごい面倒見がいいんだね」
「は、はは……そうですね……あの、まぁ、俺の方が兄貴なんで」
「双子なのにお兄ちゃんっていう感じあるの?」
「あー、まぁ、なんか産まれたの四十分くらいの差なのにそんな感じで言われちゃってて。慣れましたけど」
コウちゃんが理桜に小籠包を指さして「小籠包美味しいよ、理桜食べた?」と聞いている。
理桜は苦笑いをして頷いた。
(おいおい、優しくすればするほど傷深くなるからやめてやってくれ)
ハラハラしながら二人に目をやる俺に、コウちゃんの優しさを理解している佐那は穏やかに話しかけてくる。
なんとかやり過ごして食事を終えたが、佐那と別れてマンションに戻ったころにはもうクタクタだった。
俺の必死の努力に気付いていないのか、コウちゃんは俺達を部屋に上げてジュースを出し、自身はコーヒーのマグカップを手にソファへ座って「あー、久々の中華美味しかったけどなかなか重いな」と笑っている。
理桜はあれからほとんど喋らない。
俺には分かった。理桜は拗ねているわけではない。自分の感情の整理がついていない――どうしたらいいのか分からないのだ。
コウちゃんが俺に向かって指を振った。
「尚桜、佐那ちゃんとすごい盛り上がってた」
「盛り上がってたっつーか……あはは、うん、まぁ」
(あれは盛り上がってたんじゃなくて全力で理桜に振らせないようにしただけだぞ)
とはいえ、佐那と喋っていると知的で穏やかな雰囲気に引き込まれた。
大学時代から付き合っているということは、コウちゃんを見た目や肩書で選んだわけでもない。
二十四歳のコウちゃんが付き合っている相手なら、二人に明確な未来があるのだろうか。
――理桜は、そのことに思い至っているのだろうか。
――その胸の内は、この状況をどう思っているんだろうか。
胸がズクンと痛む。俺の心は、双子の弟を案じている。
その時、コウちゃんが口を開いた。
「ん? 理桜? どうした」
「……」
「なんか怒ってる?」
無神経に聞いている。こんなとき、コウちゃんは突然気の利かない男になる。
じっと押し黙っていた理桜が、意を決したように顔を上げた。
「コウちゃん、今日さ、その……彼女さん、食事に誘ったじゃん」
「うん」
「俺、今日はコウちゃんと一緒に中華食うんだーって思って楽しみにしてた」
理桜の顔が赤くなった。羞恥と怒りが見える。
佐那もいなくなり、三人だけの空間になったことで感情が抑えきれなくなったようだった。
コウちゃんは肩を竦めて眉を下げた。
「中華、俺も一緒に食べたけど……中華じゃないほうが良かったかな?」
「違うよ、別にいいよ中華で良かったんだってば」
話がズレそうだ。思わず身じろぎをした俺にちらりと視線を送ってから、理桜は拳を握って言い放った。
「俺たち三人の中に、知らない人が入ってほしくない」
(お……おお……すげーこと言うな、理桜)
驚きよりもドン引きしている俺をよそに、理桜が畳みかけた。
「コウちゃんもコウちゃんだよ、何で彼女誘ってんの? 今日、俺がどんだけ楽しみにしてたと思ってんの?」
「いや、でもあそこで佐那ちゃんにまさか会うとは思わなかったからさ」
「道で彼女に会ったらすぐに一緒に行動するもんなんですか、知らなかったなぁ、まぁ俺はドーテーだしそりゃそうか」
「ち……違うよ、ごめん、うん。ごめん」
コウちゃんは完全に理桜の勢いに飲まれていた。こめかみから汗を垂らして、何度も瞬きをしている。
理桜は視線を逸らして腕組みをし、唇を尖らせる。
「俺、今日コウちゃんのこといっぱい写真に撮ろうと思ってさ、放課後にずっと練習してきてたのに、全然撮れなかった」
「ごめん……」
理桜の言葉は、かなり遠いところから好意を表現していた。それにコウちゃんは気付かない様子で、ひたすら焦っている。
そして、まるで浮気を知られた彼女を必死にフォローするように提案した。
「じゃ、じゃあさ。これから一緒に出かけて写真撮らないか。夕陽が綺麗な公園もあるし。港には大きい外国船もあるし。理桜のカメラの練習にもなるだろ」
突然の提案に、理桜は一瞬きょとんとしてから燃えるように顔を赤くさせる。手に持ったカメラをぎゅっと握って、すぐに頷いた。
いざ出かける時になって、俺は中華街にお土産を買いに行くからと別行動を申し出た。
後から一緒に行こうとコウちゃんに言われたが、一人でゆっくり見たいと断った。俺の意図を理解している理桜は喜びと戸惑いの間で揺れている。
そうして申し出通りに俺は別行動をした。――外へ出かけた二人の様子を探ることが目的だ。
前方を歩く二人を観察する。
二人の距離は、友人にしては近く、恋人にしては遠い。それは完全に家族の距離だった。
公園への坂を上がりながら理桜がカメラを構えて道すがらの景色や自然を撮影し、たまにコウちゃんへレンズを向ければ律儀に立ち止まってポーズを取っている。
あははという笑い声が聞こえた。十五センチ上にある想い人の顔を見上げる姿はいじらしく、どう見ても好意が駄々洩れだ。
これに気付かないコウちゃんの鈍感具合に呆れるほどだった。
二人は夕陽が見える公園に行くと、海原が温かな陽に染まる光景を眺めていた。
約二メートル間隔で、男女のカップルがいる。その塊は肩を寄せ合っており、陽が落ちるのに比例しさらに近づき密着した。
残念ながら理桜とコウちゃんは、そうはならない。
その時、理桜が何かを言うのに横を向いた。
二、三会話をしてまた前を向いた二人だったが、コウちゃんの手が動いて理桜の手を握る。
「!!」
思わぬ展開に俺の背筋が震えた。ぐっと拳を握って前のめりになる。
理桜の影が肩を竦めたが、振り払うこともない。
二人の影はそれ以上近づくことなく、何かの会話をしながら陽に染まる港を眺めていた。
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