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第4話 大人の秘密
その日帰宅した理桜に手を繋いだのを見たという話をしたところ、非常に恥ずかしそうに、しかし溢れ出る喜びを隠せない笑顔で頷いた。
「ぶ……ブフフ……見た……?」
「見たよ(きめーな)」
「ほんと……おにいには感謝してます」
頭を下げて感謝を述べている。ほぼ同じ顔でデレデレするのはやめてほしい。
理桜はカメラを持ち出して写真を表示し、俺に見せてきた。
「これさ、すごくよくない? 夕陽が橋をオレンジ色にしてるかんじ」
「あー、いいな。理桜にしては上手なんじゃない?」
「いやいや、コウちゃんは『理桜はセンスがいい』って言ってくれたもんね」
コウちゃんの口調を真似て、カメラを抱くと身もだえるようにベッドでごろごろと転がっている。
「なぁ、そこからどうやって手を繋ぐまで持っていったんだよ」
「え?」
「どうやって手ェ繋いだの?」
理桜ははたと動きを止めると、身体を起こして気まずそうに首を掻いた。
「えーっと……まぁ、なりゆきで」
「成り行きで高校一年の従兄弟の手を握る社会人がいるか?」
俺が問い詰めると、理桜が俯いて小さく呟く。
「俺が……コウちゃんが遠くなっちゃったって言ったんだよ」
「遠くなった?」
「うん。忙しいのは分かってるけどさ。物理的に住んでる距離も遠いし、なんか……心も遠くなったって、言った」
俺は何も言えなかった。
コウちゃんが離れてしまう寂しさは、この六年の歳月で癒えるどころか深い傷になって理桜に刻み込まれている。
それが今日の彼女の登場で明らかな感情になり、二人の間に浮彫りになった。
「そしたら、コウちゃんが『ごめんな』って言って、手……手を、握ってくれた」
理桜は顔を赤らめ両手で顔を覆っている。
しかし理桜が語った話は物語のようで、あまりにも臭すぎる展開だった。本当に浮気がバレた彼女に弁明して信頼を取り戻そうとする彼氏のようだ。
コウちゃんが理桜を、そして俺を大事にしてくれていたのは理解している。――だが、本当にそれだけなのだろうか?
今回のあからさまな行動に、他意はないのか?
(コウちゃんも理桜のことが好き……だったり?)
当たり前の可能性を何も考えていなかったことに初めて気付く。
俺は理桜の気持ちが届けばいいとだけ思っていた。
コウちゃんの気持ちなどそっちのけで、ただ理桜の想いが成就すればいいと思っていた。それは他でもない理桜のためだ。
しかし実際の理桜の『好き』の成就にはコウちゃんが必要で、そのコウちゃんがまんざらでもない反応をしている。
喜ばしいことじゃないか。
(――あれ? あれ、俺……)
不快感がもやもやと霧のように広がっていく。
楽しそうにしている理桜がバカみたいに見えた。
「――他には? どんな話したの?」
タメにもならない何かを突然言い出しそうな自分の口を気合で抑えながらそっと聞く。
理桜は弾かれたように顔を上げた。その表情に、見たことのない感情を読み取る。
(なんだ? 不安、か……?)
自分と同じ顔に謎の緊張が走っている。
理桜が「他には、特になにも深い話とかしなかった」と言ってごまかし笑った。
それから2週間後。
短い時間しかいられないけど、と言って実家に帰ってきたコウちゃんは、一緒に夕食を取っていた。
コウちゃんの家の伯父さん、伯母さん。そしてうちの父さん、母さんと、俺。
悲しいことに理桜は写真部の展覧会の用意とやらで帰宅が遅くなっている。
しゃぶしゃぶをつつきながら、伯父さんが言った。
「仕事順調か?」
「ああ、順調だよ。大変だけどその分やりがいはあるし」
コウちゃんの返答に、伯父さんは誇らしげだ。うちの父親が俺を見ながらぽつりと言った。
「うちのヤンチャ兄弟は大丈夫なのか」
「えっ……まぁ……ウン……」
自信のない俺の返答に笑いが起こる。そりゃ、コウちゃんと比べられたら誰だって劣るに決まっている。
母親が「コウちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませてもらわないといけないかもね」とたたみかける。
コウちゃんがそっと俺を見て微笑んだ。
「理桜はさ、やりたいこと決まってるし――尚桜だって、やりたいことすぐに見つかるよ」
「うん……」
「やりたいこと分からなかったら、得意なものを突き詰めるのもいいし」
「うん」
明らかに大人のフォローだ。俺達のコウちゃんは、仲のいい従兄弟でも兄弟でもなく、すっかり親戚のお兄さんになっている。
伯母さんが野菜をしゃぶしゃぶ鍋に追加しながら聞いた。
「光時、いい女性いないの?」
俺の心臓が跳ねて、飲み込みかけていた白滝が逆流しそうになる。咽た俺の背中を母親が「落ち着いて食べなさいよ」と叩いた。
コウちゃんは「はは」と大人の笑いで返しながら残念そうに告げた。
「この間までいたんだけどね。残念ながら、別々の道を歩むことになりました」
エッという声が出そうになり、その代わりにコウちゃんを見た。頭には、仲睦まじく食事をした先日の光景が蘇る。
コウちゃんは俺の視線に気づいていない。
「大学時代から付き合ってた彼女がいたけど」
「えっ、なにそれ、聞いたことないわよ!」
「言ってないから知らないと思うよ」
「何なの~? 言ってよ、会いたかったわ」
「ハハ、会う必要もなくなっちゃったね」
「何年付き合ったの?」
「三年かな。あと少しで、四年になるところだった」
「長く付き合ってたんじゃないの! なに、もう~。そんな長く付き合ってたなら、彼女も色々考えてたでしょうに」
ついこの間、仲睦まじい二人を見たばかりの俺は信じられなかった。
伯母さんは心底残念そうだったが、そんなことよりどうして別れるに至ったのかを知りたい。
「コ、コウちゃん! なんで別れたの!」
俺の声は自分が思っていた以上に大きかった。
きょとんとした顔で俺を見てから、コウちゃんは憂いを含んだ眼差しを優し気に細めた。
「尚桜~、大人の男と女には聞いちゃだめなこともあるんだぞ~」
「で、でも知りたい!」
俺は全力で子どもを演じた。
コウちゃんなら、少し困ったように肩を竦めてその先を話してくれる。そんな信頼があった。
しかし、コウちゃんは人差し指を立てて唇にあてると「秘密」と笑った。
コウちゃんは俺との話をそれで終わらせようとしているようで、尻ポケットに入れていたスマートフォンの着信をちらりと確認している。
そのままメッセージに返答をし始めた。
それから一時間もせず皆の食事が終わった頃にチャイムが鳴った。
伯父さんが玄関へ行くと「こんばんは!」という理桜の大きな声が聞こえた。
ドドドドッと駆け込んできた理桜は完全に食事が終わっている光景を見て愕然としている。
「理桜のぶん、こっちにちゃんとあるから」
父親が笑いながら言ったが、そういうことではない。
コウちゃんは鞄を持って立ち上がっていた。
「理桜、お帰り」
優しく言葉が掛けられる。理桜は肩で息をしながら、一瞬も見逃さないようにするかのようにコウちゃんを見つめていた。
「ごめんな、俺もう帰らないと、明日朝から会議があるんだ」
そう言ってすれ違いざまに理桜の頭を撫でた。理桜が肩を竦めて俯く。
その時、思い出したようにコウちゃんが鞄から何かを出した。
「あ、そうそう。これ、理桜が欲しがってたやつ」
手には水色のリボンがかかった小さな箱がある。
サイズは手のひらほどで、ぱっと見た感じで何だか判断はつかない。
受け取った理桜の頭をまた撫でたコウちゃんは「またな」と言って、出ていった。
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