第5話 コウちゃんのきもち

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第5話 コウちゃんのきもち

 結局食欲も無くなってしまった理桜の具材を包んでもらい出汁とともに持ち帰ると、片手鍋で一人しゃぶしゃぶをし、理桜も気乗りしない食事を終えた。  コウちゃんと一緒に食事ができなかったことを悔やんでいる。そして、俺に嫉妬をしている。 「なんで今日に限って俺が会場設営の当番なわけ?」 「知らねーよ」 「ずるいよ、おにいずるい! おにいが会場準備に行けば良かったのに!」 「お前それ他人からよく言われるやつだな」  双子で顔も声も体格も同じとくれば、他人が想像することは決まっている。成りすまして替え玉受験はどうか、とか。互いに高校を取り換えたらどうか、とか。  そんなことをするメリットがあるならやってみたいが、危険を冒してやるほどのメリットがあるとも思えない。  理桜は俺の部屋に来てからずっと不機嫌だ。ベッドに腰かけ、制服のままで不貞腐れている。  適当にあしらいベッドを背もたれにして漫画を読もうとした俺は、ふと今日の話を思い出して理桜に聞いた。 「なあ、理桜。コウちゃん彼女と別れたの知ってる?」  むくれていた理桜の顔色が変わった。 「え……? なに?」 「あの中華の彼女と別れたこと。聞いてないの?」  理桜の顔色が蒼白になっていく。 (――なんだ?)  あんなに彼女がいたことにショックを受けていたのだ。別れたこと知れば喜ぶのだろうと思っていた。しかし現実の理桜は青ざめ、困惑し、必死に息を整えながら視線を泳がせている。 「どうしたの理桜」 「俺のせいだ……」 「は?」  突然言い出した言葉の意味がわからない。  理桜は苦しそうに言った。 「俺、あの公園で……コウちゃんに言っちゃったんだ」 「なんて?」 「彼女(あのひと)の良さがわかんない、コウちゃんならもっと良い相手(ひと)がいる――って」  その会話はただの会話で、なんら具体的ではない。  理桜が彼女を否定することを言ったとしても、それが別れに直結するとは思えない。そしてはっきり言ってしまえばそれが引き金になるとも思えない。  コウちゃんにとって理桜がそれほどまでの存在なら、そもそも女性と付き合ったりなどしていないはずだった。 「理桜、本気でそれが原因だと思ってるのか?」  俺の歯に衣着せぬ発言を理桜は驚いた顔で受け入れたが、今にも泣きそうなほどに頬を引き攣らせ顔をしかめた。 「違うかな……?」  俺の言葉に、自分の気持ちを問い返す。その姿勢はずっと変わらない。  同じ顔をした双子なのに、理桜は俺を「おにい」と呼ぶことで弟の座を維持している。たった四十分出生が早かっただけで、俺は兄になった。  俺の意見を促そうとするその表情は見慣れたものだったが、今は無性に腹が立った。 「知らねぇよ」 「――うん、そうだよね」 「自分でコウちゃんに確認すりゃいいだろ」 「そうする」  寂しそうにぽつりと答えた浮かない顔の理桜は、高校のサブバッグから何かを取り出した。  手のひらにはコウちゃんから貰ったギフトがある。水色のリボンは少しだけよれていたが、まだ開けてもいない。  開けるのを躊躇っていたようだったが、細い指はリボンの端を摘まんでそっと引いた。まるで頑なな心を解放するように、リボンはふわりと解けていく。  箱の蓋を開けた理桜の動きが止まった。 「……理桜?」  理桜は俺の呼びかけに答えない。次第にその肩が揺れ、おもむろに涙が落ちた。  俺の心臓がドクンと鳴り、落ちた涙が滲むシャツにくぎ付けになる。 「……おにい」 「な、なんだよ」  理桜はそっと顔を上げた。  困ったような、嬉しそうな、赤らむその頬には涙が溢れ伝っている。  俺を見つめたまま、理桜は中が見えるようにそっと箱を差し出した。  途端にコウちゃんの香りが立ち昇った。まるで本人がいるかのように錯覚する。  箱の中、一番上に添えられた小さな水色のカードに書かれたメッセージが目に飛び込んできた。 『理桜へ  前に欲しいと言っていた俺の香水をおすそ分けします。  これは俺のために友人が調合してくれているものだから、俺以外は誰も付けていません。  でも理桜には持っていてほしいと思いました。  俺は理桜を大事に思っています。いつでもそばにいることを忘れないで。      光時』  文字を読み切ると目の前がぼんやりして見えた。  まるで愛の告白のように感じた俺の感覚は間違っていないようで、理桜は俺に近付いてくると箱の中身の小瓶を取り出し両手で包み込む。  震える唇で「これってそういうことだよね?」と呟き俺に同意を求めた。 「いや、理桜……これは……」  分からない。  一旦否定してみたものの、コウちゃんの真意は俺には分からなかった。  俺達の周りにはコウちゃんがいるような空気が濃厚に揺らめいている。  胸が透くように爽やかで、頭が晴れるように明瞭で、苛立つほどの感覚的な甘さが否応なしに俺の鼻へ入り込んでくる。  理桜がふっと息を吹き出した。口もとに笑みが宿り、幸せそうに目尻を下げて、胸元に香水瓶を抱いた。 「嬉しい。俺、これが勘違いでもいいよ」 「理桜……」 「コウちゃんの気持ちの中に俺がいるなら、それでいい」  俺は言える言葉を失い、幸せそうにしている理桜をただ見ていることしかできなかった。
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