第6話 理桜と尚桜、18歳の冬

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第6話 理桜と尚桜、18歳の冬

 ――二年後――  俺達は高校三年になり、秋を迎えた。今後の進路を決めるタイミングになり、理桜は芸術分野の国立大学入試を受けることを即決した。  夢が決まっている理桜と違って、俺はまだ自分の将来が見えていない。ぼんやりと理系の大学を選択している。  二年前にコウちゃんから香水をもらった理桜だったが、それ以上二人の関係が進展したかというとそんなことはない。  もらった香水を使用することもなく、ただコウちゃんを想う時だけ蓋を開けるようだった。ふいに理桜の部屋を訪問したとき香水の香りが充満していると、言いようのない不快感が俺の中に湧き上がる。  そんな中で理桜は幸せそうな、満足げな笑顔を浮かべて俺を迎え入れるのだ。  何も進展しないのに、そこまで嬉しそうな意味が分からない。  どうしてそんなにコウちゃんを想いつづけられるのかも理解できない。  あれ以上、何も進展しないどころか問題が浮上していた。それを見て見ぬふりをする理桜がバカ野郎に思える。  香りによる不快感は苛立ちに変化し、俺たちは理不尽な喧嘩をすることが多くなっていた。 「また彼女と別れさせたのか」  俺は、コウちゃんの香りに包まれた理桜の部屋で腕組みをして立っていた。  理桜はベッドに寝ころびちらりと俺を見上げて「ちがうよ、勝手に別れたんだよ」と飄々と告げてまた視線をスマートフォンに戻す。 (ふざけんな、何度目だよ)  二年前。仲睦まじかったコウちゃんと彼女の佐那さんが別れた。  その原因を理桜は自分のせいだと言ったが実際のところは分からなかった。  しかしその後フリーになったコウちゃんを女性が放っておくはずがない。彼女と別れた傷を埋めるように、その隣には別の女性が立った。  その存在は三ヶ月後に理桜の知るところとなり、コウちゃんの隣に立つ女性に嫉妬してしまう理桜はまたそこはかとなく彼女を否定する。  それは、なんの他意もないただの嫉妬のはずだった。  ――だが、その後わずかな日を経て、コウちゃんは彼女と別れた。その第一報を聞かされたのはまた俺だ。  二度目のそれで理桜は確信したはずだ。コウちゃんは、自分のことを優先してくれている。自分のことを大事に思っている、と。  自信を持った理桜は大胆になった。コウちゃんに片思いをして、もどかしい想いを抱えていた以前の理桜はもういない。 「何度同じこと繰り返すつもりだ」 「えぇ? 俺は別れろなんて言ってないよ」 「お前が否定するからコウちゃんが別れることになるんだろ! 分かれよ!」  俺の言葉を聞いた理桜はゆっくりと顔を上げる。その口角が上がっていた。 「俺が否定したからコウちゃんが別れるの? どうして?」 「どうして、って……」  そんなこと俺が知るはずはない。  そう突っぱねればいいのに、俺の喉は張り付いたように声を通す隙間すら作らない。胸が詰まって苦しさすら感じている。  理桜がのそのそと起き上がり、俺の前に立ってフフッと微笑んだ。 「おにいは、俺がコウちゃんと仲良くするのが気に入らないだけだよ」 「!!」  目の前が暗くなる。そんなわけない、というたった八語すら俺の喉は通してくれない。  理桜は俺にずいと体を寄せた。 「コウちゃんが彼女と長続きしない理由が俺なら――すっごく嬉しい」 「理桜……」 「あはは、性格悪いと思ってるだろ?」  何も言わない俺の心の内をのぞき見てくる。  ゴクンと唾を飲み込んで、俺はかさかさになった唇を開いた。 「理桜は、コウちゃんに幸せになって欲しいって思わないのか?」  理桜が目を見開いた。丸い蛍光灯の光を反射させる眼球が俺を見ている。  そうして、眉間に皺を寄せて視線を逸らした。 「――考えたことない」 「はぁ? 何言ってんだ? 好きな人が幸せになるのを望まないのか?」 「綺麗事言うなって」 「綺麗事じゃねーよ、本気で言ってんの?」 「……そうだね……俺以外と幸せになるのは許せない」 「理桜、どうしちゃったんだよ」 「どうもしてない、俺は前からこうだ」  理桜は悲しげに笑った。 「おにいには分からないかもしれないね。俺は、コウちゃんに近付く女も男も、子供だって年寄りだって全部気に入らない」 「理桜」 「誰かと喋ってる姿を見るだけで、胃が痛くなるんだよ。彼女がいるのを聞いたらじっとしていられない。俺の知らない顔をそいつらに見せて欲しくない」  その想いは、狂おしいほどの独占欲だ。  俺にはそれが愛なのかどうかが分からなかった。  理桜が続ける。 「あの笑顔を、俺だけのものにしたい。そう思うのは悪いことなわけ?」  黙り込んだ俺を嘲るように笑った理桜は「なぁ、恋愛経験豊富な尚桜先輩、教えてくださいよ」と人差し指で俺の額を強めに突いた。  論争の中心であるコウちゃんは二十六歳になっていた。仕事も順調で、老舗カメラブランド「キャパス」の中でも期待の若手研究員としてカメラ雑誌に寄稿したこともある。  そんなコウちゃんはひたすら輝いていて、まぶしくて、俺は見上げることすらかなわない。コウちゃんを必死に追う理桜の後ろ姿も黒い影になるばかりだ。  伯母さんはもともとのミーハーな性格もありコウちゃんの女性関係を度々確認し、独身でいることをやんわりと責める。  「いいひとがいたらね」と笑顔でかわしているコウちゃんの隣で、理桜はいつも満足げだった。  冬になり、俺と理桜は大学受験を終えた。年末から共通テストを受けるまでの少しの間にコウちゃんは俺たちの家にやってきて、何かの冊子をダイニングテーブルに取り出した。  母親が食いついている。 「あら、どしたの、光時くん! いいわねー」  表紙には雪景色の中に暖かな湯煙を満たした温泉の写真が載っていた。旅行のパンフレットだ。  コウちゃんは肘をついてにこにこと笑いながら俺たちを見ている。  立ったまま、観察するようにそれを見下ろしていた俺とパンフレットの間に理桜が身をねじ込んできて、間髪入れずに「行く!!」と言った。  コウちゃんが眉を下げて笑う。 「まだ何も言ってないよ」 「行こうっていう話だよね? 俺行きます!」  理桜がぐいぐいと圧をかけている。  母親が「受験も終わって無いのに」と言ったが、理桜は聞く耳を持たない。 「リフレッシュして、帰ってきたらマジでいい点取るから! ね、おにい!」 「え? あぁ、俺もなの?」 「当たり前だろ、行こう!」  理桜のことだから、コウちゃんと二人きりで行きたいのだと思っていたが、意外にも違うようだった。  勝手に話を進められているコウちゃんは苦笑して、低く心地よい響きで告げた。 「伯母さんがオッケーなら、今回の旅費は全部俺が出しますから」 「なに、どうしたの光時くん! だめよそんなの、悪いわ」 「いや、未来ある二人に俺ができることなんてこのくらいだし」  理桜が満面の笑みでコウちゃんの隣の席に座り、パンフレットをめくる。 「うわー、猿が温泉入りにくるんだって! うわー! すごいうわー」  喜びのあまり失った語彙力で、必死にコウちゃんに喜びを伝える理桜がバカで可愛い。  コウちゃんが理桜の頭を撫でて爽やかに笑った。 「理桜が喜んでくれて嬉しいよ」  その優しい瞳がそのまま俺に向けられる。 「尚桜も一緒に行けて良かった。嬉しいな」 「あ……うん」  思わず照れくさくなり俯いた俺は、理桜の持つパンフレットをぼんやりと見た。
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