近江や

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近江や

駅前に店を構えたのは、 川下りが盛んな頃だった。 その頃は、店の前には、四階建てのストアがあった。 ストアから流れ出た『お客』さん相手に、 お好み焼きを焼いて売っていた。  これが凄く評判を呼び、 儲かった『金』で新たな商売を考えた。 「これからは、“女性”の時代だから、  “女性”の為の商売をしなければいけない」  そう妻と話し合い、化粧品店を始めた。 目論見通り店は、大繁盛して、 何億という富を得る事が出来た。  俺らは毎日、店を閉めた後、 自転車で二人乗りをして食事に出かけた。 妻は、俺の腰に手をまわし “女座り”をして笑っていた。 ある時は、“とんちゃん”屋、 ある時は、鉄板焼きそして炉端焼き。 駅前は、賑やかだった。  食べて呑んでると、次々と顔見知りが現れた。 ある夜、シャレの効いた一人のポッポ屋が、 妻の横に座り、呑みながら話し出した。 三人は、直ぐに打ち解け互いに酌をした。 そして、話の途中で娘の同級生の父親だと判明した。 妻は、 「あら?あなた、あの子のお父さんなのぉ」  そう言って甲高い声で妻は、笑い声を立てた。 上機嫌の妻は、美しかった。  店番をしていると、年頃の娘たちが 流行りのファンシーグッズを買いに来たり、 化粧品を眺めたりしていた。 俺は、それを眺める事も好きだった。 みんな 「小父さん小父さん…」  そう言って慕ってくれた。  店の前のストアは、無くなったが、 その後に、本屋が開店し、そこも繁盛した。 そんな景気の良い時代も直ぐに過ぎ去った。  町の娘たちが、成長し、 恋をし結婚をして家庭を持つ姿を 自分の子供のように見守っていたつもりだった。  我が子も、立派に成長し、人から尊敬される職業につき 俺は、“どえらい”事をしたんだと自負した。 なのに、なんでか知らんが、倒れちまって病院に入れられた。 眠っている枕元に妻が立ち、 「もう、何してるのよっ。  戦争が始まったのよ」 「戦争が始まった?  ほんなもん、だいぶ前の事やろ?  今は、令和の平和な時代だわ」 「何言ってんのよ。  逃げなきゃいけないの」 「逃げるってどこへ?」 「もう、イライラするわね。  私についてらっしゃい。」  言われてベッドから起き上がり、廊下に出ると 黒い自転車が、置いてある。 「ほら、あなた前に乗って…」 「お…おう…」  言われるままに自転車に跨ぎ、力いっぱいペダルをこぐ。 自転車は、少しだけ抵抗した後、“すぅっ”と軽くなり 病院の廊下を走りだす。 非常灯が見える。 「このまま走ると、ドアにぶつかるわっ!」  そう言うと、妻が 「大丈夫よ!  そんなもん、ぶち当たれば開くから」  言われるままに扉にぶつかると思った瞬間 扉は、綺麗な四半形を描いて開き 凍える寒さの中、 北斗七星の輝きを見ながら俺たちは、飛び出した。 「ほらぁ~下界が綺麗に見えるわ」 「あらま、いつの間に、こんな明るい街になっとたんかな?」 「あの月を目指してみましょうよ。  星と月でイヤリングを作るのよ」 「おお。  今度は、ジュエリー店も開くか」 「そうしましょうよ。  デザインは、孫娘がするわ」 「ほうやほうや。  あの子は才能が、あるでな」    将来の“夢”を語り合いながら、 社長は、月を目指すのだった。 2023.12.12(火)記
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