8.

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  私は彼を不思議な人だと思った。私のように、死をいつも考えて生きてきたはずなのに、この人はどうしてこんなに明るく楽しそうなんだろう、と。  しかも、私は生きて、彼は死ぬのに。  彼の明るさは私を締め付けた。  「このノートすげぇな」  私の顔を見た彼の第一声だ。  何を言っているのかわからない私に彼は手に持っていた分厚いノートの(いち)ページを見せてくれた。そこには私に似た女性が描かれていた。彼は言った。  「これこの前聞いた俺の親友の理想の女性像なんだよ。いや、まじびっくり。現実に会えるとは。引き寄せたわ。そして君がその女性とは」  そう言って星弥さんは自分と親友の話を始めた。  「俺の半分、かっこ悪いかもしんないけど俺はそいつをそう呼んでる。そいつもだ。俺たちは切っても切れない仲なんだ」  親友の事を話す星弥さんはとても楽しそうだった。「会いたい」と連絡を貰ってからどんな事を言われるのだろう、と不安だった私は少し安心した。けれど胸は締め付けられ続けた。  「彼のことが好きなんですね」  私は友達として、の意味だった。けれど、星弥さんは  「ああ、好きなんだ。本当に」  と言ってそれまで誰にも言えなかったという彼の氣持ちを私に告白した。  「別にゲイじゃないぜ?ま、世間的にはゲイと言うんだろうが俺が好きになったのはあいつだけだ。俺が人生で唯一好きになった人があいつで、あいつが男だったってだけだ。それをゲイと呼ぶならそれでいいけど」  そう告白した彼はかっこよかった。  そして、彼の願いを私に話し始めた。  「ONE PIECE知ってる?」  「知りません。漫画は読まないので」  「ははは。漫画だって知ってんじゃん。読んでないだけで人生損してるからすぐ読みな。面白いから」  彼は初対面の私を何度もからかった。  「で、そのONE PIECEにさ、ヒルルクって言うキャラが出てくんだけど、そのヒルルクが言うんだ。  『人はいつ死ぬと思う?』  って。普通に考えたら死んだ時人は死ぬよな。でも、ヒルルクは人に忘れられた時に人は死ぬって言うんだ」  「人に忘れられた時?」  「そう。だから、覚えてくれている人がいる限りその人は死なないんだって。俺それ読んだ時嬉しくてさ」  その時彼はとても優しい顔をした。そして私に言った。  「だからさ、俺の心臓であんたが生きれたら、落ち着いてからでいいからさ、あいつに会いに行ってくれないかな?そして、聞いてくれないかな?『俺はまだ生きてるのか』、って。俺はその答えを聞けないんだけど。俺の心臓に聞かせてくれないかな」  彼の叫びは私の胸を苦しくさせた。彼は死に、私は生きる。  会う事を了承した時から私は彼に何か頼まれたなら出来ることはしようと思っていた。だから私は彼の頼みを聞き入れた。  「わかりました。聞きにいきますね。必ず、必ず聞きます」  あなたの心臓で、とは言えなかった。  私が了承すると、彼は微笑み、打って変わって明るく言った。  「サンキュー!あ、でついでにもう一個頼んでいい?」  「なんでしょう?」  「俺あいつに復讐もしたくて」  「復讐ですか?」  「そう。復讐」  彼は悪戯っ子のような顔で話し始めた。  「だってこんなモテモテでイケメンの俺が一方的に片思いしてたんだぜ?で、鈍いあいつは全くその事に氣づかないの。ま、それは仕方ないことだとしても、俺が人生で何が一番悔しいかって俺をドキドキさせたあいつをドキドキさせられなかったことなんだよ。だからさ、俺の心臓であいつの事ドキドキさせて欲しいんだ。それが俺の復讐」  「よくわかんないですけど、具体的にどうしろと?」  彼の提案に戸惑いつつ私は聞いた。  「んーそうだなぁ、素性言わずにあいつに近づいて一緒に住み始めるとか面白くない?」  「そ、そそんなはしたないことできません」  「俺は心臓くれてやるのに?」  「そ、それは・・・」  「ははは冗談冗談。大丈夫だって。あいつ君が許さない限り変な事は絶対しない奴だから。ま、頭の中ではわかんないけど。で、あいつに君のこと好きにならせてよ。もうどうしようもないくらい惚れさせて。俺の復讐で、俺の代わりに、俺の心臓で」  その時、彼がふざけているのか本氣なのか私にはわからなかった。  「どのくらいの期間一緒にいたらよいですか?」  「そうだな〜一週間、いや十日くらい一緒にいてくれない?あいつにとっても良い思い出になると思うし。君、本当あいつのタイプだから。・・・俺が嫉妬するほどに」  彼がふざけた顔の中で時折見せる真剣さに私は惹かれた。  「あ、でも一番大事なのは『俺が生きてるか』聞くことだからな。んーそうだ、そこもサプライズ感持たせてさ、遠回しにいきなり聞いてみてくんない」  「遠回しにですか?」  「そう遠回しに。例えば、そうだな。『ねぇ、覚えてる?』とか。突然君みたいな美人にそんな事言われたらあいつ絶対テンパるから。・・・それ見たかったな」  ふざけていた彼の表情が一瞬で寂しい顔になった。  「ま、あいつはとことん鈍い奴だから絶対わかんないと思う。てか、あいつでなくてもわかんないか。で、折を見てあいつに伝えてくれない?俺に言われて会いに来たこと。これが俺の復讐で、そしてモテないお前に俺からのプレゼントだって......あと俺がどう生きたか」  そう言って彼は涙を零した。私はその場から逃げだしたかった。彼は死ぬのだ。「これから生きる」ことに「生きたい」と思うことに私は罪を感じた。その罪を少しでも軽くしたい私は  「わかりました。必ずどれも実行します。約束です。」  とその場の精一杯の誓いをたてた。  「ありがとな。本当ありがとう」  優しく言う彼の言葉に私は泣いた。  「な、なんだよ?なんで君も泣くの?」  「約束します。約束しますから、だから私にありがとうは言わないでください。あなたにありがとうを言われるのが一番辛いです」  涙がとまらなかった。何を言っても私の罪は軽くならない氣がした。彼の顔も見れない私に彼は  「・・・わかったよ。君、見かけによらず優しいんだな。顔がいい女ってみんなブスと思ってたよ」  と言って私を笑わせてくれた。  「なんですかそれ」  「俺の座右の銘。頼んだぜ」  私はあの時彼を好きになったのかもしれない。少なくとも彼は私が今まで出会った人の中で一番かっこよく生きた人だった。  翌年の四月、手術前にもう一度私は彼と会った。その二週間後の四月十六日に私は彼の心臓を貰った。  麻酔から覚めて、心臓の鼓動を感じた時ドナーとレシピエントの接触を禁止する意味がわかった。  術後の痛みがまだ残る中彼の心臓は私の中で確実に動いていた。彼に会った時は見えも聞こえもしなかった彼の心臓が私の中にある。彼がもうこの世にいない事を意味する鼓動は私の生を責めているように感じた。  二年のリハビリで私は普通に生活できるようになり、軽い運動もできるようになった。ただ彼とした約束を果たす勇氣を持つのにはもっと時間が必要だった。  私は今彼の心臓で生きてる  私が意識しなくてもそれは動き続けている  彼は今それを喜んでくれているのだろうか?  
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