(三)

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(三)

     (三)  小学校の卒業を待っていたかのような離婚。  他に好きな人ができたのが原因。―――ふたり暮らしになってから知らされた。  それがいつからなのかはわからない。ただ、夫婦関係、親子関係が、形だけの体温しか持ち合わせていないことは、幼少時から感じていた。  あの人―――心中ではいつしか、そう呼ぶようになっていた―――に、可愛がられた想い出はない。虐待を受けた記憶もないが。―――いわゆる意識の外に追いやられていたということではないか……。  自分の娘なのに……。寂しさを孕んだ疑問はわいた。  しかしそんな境遇が精神的な成長を速めたのか、 「そういう人もいる」  わきまえる思考が小学校の高学年にもなるとできあがっていた。  そして、四年生から入ることを義務づけられていた放課後のクラブ活動に“お芝居”を選んだのも、暖かみのない家庭環境から一時(いっとき)でも目をそらし、非現実の世界ですごしたい―――との願望からではなかったか。そのころのクラブで選ばれる題材は、すべてハッピーエンドだったから。  演劇は私を助けた。  演じる時間があると思うだけで、片親家庭の苦労や寂しさは吹き飛んだ。  中学演劇部になると、多少シリアスな作品もあった。しかしだからといって、お芝居から外れる心など生まれなかった。もうすでに演劇は、自身がおかれる実生活から目をそむけるための手段ではなくなっていた。  再婚しようと考えている―――。  突然告げられ驚いたが、もしかすると、そこはかとなく匂わされていたのかもしれない。ただ、部活動をはじめとした学校生活に充実した忙しさを見ていた私の意識には、その信号を察知する余地がなかった。そう今では思える。  再婚前、三人で食事の席や行楽の時間を何度か持った。  可もなく不可もなく、といった印象。―――だったが……。  再婚が決まった中学二年の終わり、一緒に住むようになると、新たな家族は“あの人”と真逆であることがわかってきた。   いつも私に目を配り、仕事の時間以外は自分の生活の中心に置いてくれた。  当初はそのようすに戸惑いと緊張を持った。また、  おそらく今だけだろう……。  そんな渇いた考えも同居していた。  しかし日を追い、それが間違いであることがわかると、私のほうも自然と甘えるようになっていった。本当の親に対してのように。
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