1人が本棚に入れています
本棚に追加
晴れ晴れピンク色
「な、え?」
「……家、入ったら?」
娘が気まずそうにしながらもそう言った。
ただ言われるがままに入れば、さっさと全身にファブリーズをかけて、買ってきたものを受け取り、「手、洗ってきなよ」と言い残してキッチンに向かう。
呆気にとられつつ靴を脱ぎ、洗面所で手を洗い、リビングに向かう。
娘はキッチン横の冷蔵庫に物を詰めていた。
「……おかえり」
ようやく口にしたそれに、娘は頷く。
「うん、ただいま」
「いつ、帰ってきたの?」
「お昼前くらい」
「そっか」
沈黙が流れる。普段は話が途絶えても気まずくならないのに、今日はなんだかソワソワする。
だけど何か言葉を選んでも、今言うべきものがわからなかった。
やがて冷蔵庫がパタン、と音を立てて閉まる。
「――ごめんなさい」
娘が口を開いた。
「……わかってたんだ、ほんとは。お母さんの言い分は正しいし、好きでも金銭面は視野に入れてなきゃいけない。現実見なきゃって。まだ私学生だし、自立だってできてないから。……でも、すぐには切り替えられなくて」
娘の言葉に、うん、と小さく相槌を打つ。
「だから、家飛び出して、帰るの気まずくて……。連絡、しなかったの、ごめんなさい」
その気持ちがわかる故に、少し息苦しさを覚えていた。
私だって恋愛経験はある。娘のように年上に恋をしたことも。その人はバツイチとチャンスがあれば上手くいくかもしれない人では、なかったけど。
ただ、やっぱり幸せではなかったのだ。
その時はいいとしても、後々を考えたら、自分にとっては幸せではなかった。
――でもそれは、私の話だ。
一度深呼吸をしてから、娘に向けて笑う。
「今回は許す。ちゃんと無事に帰ってきたしね。今後はちゃんとしなさいよ」
余計なことは言わない。私が言うべきことを言って、締めくくった。
娘もまた、ふっと笑う。
「うん、善処する。……あ、それからこれ」
「ん?」
リビング奥の和室から娘が何やら後ろに隠して持ってきた。
そのまま私の前に来て口を開く。
「――いつもありがとう」
差し出されたのは、ピンクと赤が鮮やかに彩るカーネーションの花束だった。
ほとんど無意識に受け取りながら、ハッとする。
「もしかして、母の日?」
「それ以外に何があるのさ」
娘が笑った。私もつられて笑ったが、花束を持つ手に力が入る。
「お母さん?」
「……ありがと」
ただ、娘を抱きしめた。
娘は最初こそ戸惑っていたが、ややあって、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。
甘い香りと、ピンク色が部屋に咲いた。
温かい、五月の始まり。
きっと明日も、いい天気になる。そう確信した母の日の夕方だった。
最初のコメントを投稿しよう!