少女Aの遺書

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私の人生は、確かに不幸ではなかったと思います。愛もあったと思います。平均並みの家族でした。 でもこれは、私の気持ちの問題。私は、この人生を生きたいと思える何かが存在しない。20歳になって、30歳になって、私はどうなるんだろうって考えたとき、何もなかった。私は、確かにここに生きているのに。大人になって、人生を謳歌する自分の姿が見えない、それどころか、社畜のようにただ毎日をもがきながら生きる姿さえ想像できない。 何となく感じた。多分きっと、私はこの世界では生きていけない。いつか、ふっとロウソクの火のように、消えてしまうような気がした。この年だし、将来が見えなくて当然と言われました。本当にそうかな。確かに、将来の姿なんて普通は見えないかもしれない。でも私の周りには、やりたいこと、好きなことを、顔を輝かせて話す人がいた。みんなみんな、何気ない日常を精いっぱい生きているのに、私だけ違う。私だけ、この何気ない日々ですら憎んでしまう。そもそも、生まれてきたことが間違いだったのかも。 私がこの世界を愛せないように、この世界もまた、私を愛してなんてくれなかった。だから、私は死んでるだろうと思った。もし仮に、やりたい職を見つけて、それで生活をすることが出来たとしても、私は生きることを放棄することを選ぶ。 でも実は、ほんの一瞬だけ、生きてみようと思った時期もありました。母からの言葉を信じたかったから。なんだかんだ言っても、やっぱり母は強し、話を聞いてもらえるだけで嬉しかったのです。それに、もう少し頑張れば違う未来が見えるかもしれないって、信じたかったし。なんて、私の嫌いな綺麗事にすぎないけど。 でも、5回くらい話してようやく気付いた。相談なんて、するだけ無駄だと。母は毎回、私に生きる選択をさせる。確かに、私は死にたいと口では言うけど、本気で死ぬつもりはなかった。死にたいんじゃなかった。消えてなくなりたかった。私という存在が出来た日を無くしたかった。 生きるのがこんなに辛いなら、知りたくなかったの。死にたいんじゃないっていうのは、死ぬ勇気がなかったから。自分から死のうとは思わないけど、通り魔に刺されたり、高齢者の車に轢かれたり、末期がんを診断されたりしても、腑に落ちてしまう。あぁ、ようやく解放されるのかってね。でも私は、「幸せ」なことに、いまだにのうのうと生きている。もっと生きるべき人はいるのに。代われたら良かったのにね。
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