少女Aの遺書

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自殺について調べると、いろんな人が、それを止めようと必死に言葉を紡いでる。甘い言葉に乗せられて救われるのなんて、一部の人。すでに全身を毒で蝕まれた人は、その言葉にすら、苦しめられてる。私を助けようなんて思って、手を差し伸べないでほしい。 「みんな辛い」、「生きていてほしい」そんな生かそうとする言葉も、「生きていればいいことある、なんてきれいごとは言えない」という、私を肯定する言葉も、全部いらない。違うの、もう言葉なんて必要ないから。そんなもの、耳障りな雑踏と変わらない。だって、こんな末期状態の自分が、もう一度明るく笑ったりする日なんて来るわけがない。もし、変われることが出来たとしても、私を変えられるのは私だけ。そうでもなきゃ、それは変わったとは言えない。一時的に救われたとしても、また些細なことで私の心は蝕まれていく。 きっと同じことの繰り返し。だとしたら、この先繰り返される、ため息が出るほど長い時間をどう生きればいい?苦しくなって、泣きたくなって、ほんの少し光が見えて、また闇に落とされて。そんな人生に何の意味がある?何の価値もない。そんな苦しみを繰り返す日常なら、ゴミ箱に捨ててしまえばいい。 じゃあ、どう接するのがいいんだろうって思うでしょ。知らないよ、そんなこと。だって私はあくまでこう思ってるけど、ほかの人も同じように感じてるとは言えないもの。 ただ、一つ願うなら、興味本位で手を出すな、手を差し伸べるのなら、一緒に地獄に落ちる覚悟で伸ばせ。あなたが伸ばした手は、太宰治の蜘蛛の糸と同じなんだ。たった一つの希望なんだ。あなたが私を引き上げようとする力以上の強さで、私は堕ちている。だから簡単に救えるはずなんてない。どんな言葉を贈っても、簡単には届くはずない。もし、生半可な気持ちで助けようと思えば、きっと途中で嫌になる。でも、そうして手を引っ込めてしまったのならば、その先は言葉にしなくても分かるはず。無責任な言葉より、期待して信じて、伸ばした手のひらを離される方が、ずっと怖い。信じなければよかった。手を握り返さなきゃ良かった。その目を、見つめ返さなければ良かった。生きることに縋らなければ良かった。
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