集団における洗脳

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集団における洗脳

  ここはまだ、絶望の海の手前。現実という枠組みに守られた場所。そこから絶望の海に浸かるには、準備運動が必要だ。そのための話から始める。  誰しも常識と呼べるものの一つや二つくらいは胸の中にあるだろう。だけど、その常識とはどうやって知り得たものだろうか?  通常なら、赤ん坊から幼児までの間は、まず親の常識を知ることになるだろう。このときはこんにちはと言って、このときはさようならと言う。  他人から見て、その子の常識を知るのは言葉遣いだろうか。親や周りの者の影響で、その地域の方言が当たり前のように身に付き、粗雑さが目立つ場合、粗雑なままの人間関係を形成することになる。  日本で言えば大阪が言葉遣いが悪いと目立っているが、日本の東だろうと、西だろうと方言とは粗雑に聞こえることが多いものだ。けれど、それが常識の世界においては自然なことで、方言が粗雑な理由もちゃんと存在し、それを活かすことで、幸せを掴み取ることもできる。  ただ、現在はテレビやインターネットなどで標準語や敬語などという丁寧な言葉を耳にすることが多い。そのため、方言による粗雑な部分は少なくとも中学生の頃には理解できるはずだ。すると、そこから言葉によって大きく傷つき易くなっていく。  そして、その方言を主流とする考えから逸脱し始める。ここに二つの常識が一人の人間に宿るからだ。  実際にはそればかりではなく、集団ごとのルール、家庭、学校、部活、友達、その他の多くの常識が入り混じり、中学生とは、とても大変な時期となる。ここで、全ての常識を受け入れるのは難しく、いずれかの常識に乗っ取らないと生き難くなってしまう。  だから、意識しようが意識しまいが、何かしらの選択を迫られることになる。ここで、選択するのはやはり、近しく、信頼できて、親しい人達と共に生きるための常識だろうか?  それはとても賢明だ。暗い生活を送りたくないと思うのであれば、それを選び取ることこそ人間の常識と言っていい。けれど、群れに馴染めない個体とはいつの世にも存在する。そう選び取るのだ。個人のルール。自身の物差しのみを信じる人間が。  実のところ、本当は皆自分のルールに従って生きたいと思っているものだ。だから、なおのこと、そうしない人間に対しては強く当たる。逆に言えば、自分達の常識への勧誘とも言える行動だ。その行為と想いによって、道を改める者もいるだろう。  それでも諦めない者はいわゆるボッチとなり、マンガや小説などではヒーローと呼ばれる役所を与えられることになるが、社会のヒエラルキーでは底辺の道を進むことになる。  もちろん、芸能界やユーチューバーなど華々しく生きることもできるが、彼らも楽な生き方はしていない。寧ろ、スローライフを送る人間が一番自由な生活を手にしている。多くの代償と引き換えに。  さて、この辺りまでで理解して頂けるだろう。これらは全て洗脳だ。もっともらしい言葉を当てはめて、「これが日本の常識だ」などと言い誂えたものでしかない。ここでの洗脳を解くカギは個人のルールさえも取り払った、とても原始的な思考をすることによって解除される。
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