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帰り道
「私は自分の目で見たものしか信じない」は、個人ルール。「私は自分の目で見たものすらも疑う」が、原始的な思考だ。全てのものを信じず、疑い、罵倒する。
その精神状態で見える景色は絶望の海しかない。なぜなら、拠り所となるものが一つたりとも存在しないからだ。だから、幸せな人間はこんなところまで来る必要はない。
例えば宗教を、例えば己が信念を信じ、幸せに生きているのなら、洗脳があっても構わないのだ。更に砕いて言えば、どこが正常かは、己が幸せな場所と定義すべきであり、それが守られている状態を脱する必要性はない。
けれど、考えてしまう者にとっては、どうしても抜け出せない沼のようなものであり、何度となく絶望の海に来てしまう。こと、世界的に変革を行わなければならない時など尚更だろう。
ならば、絶望の海を抜け出す手段はあるだろうか? 当然にしてある。それは新たなる洗脳を創り出すこと。詐欺師となることだ。
必ず正しい証明などはこの世に存在しない。いや、存在してはいけない。それは破滅を呼ぶ、あってはならない存在だ。それを創り出した瞬間に世界そのものが存在意義を失うだろう。
百パーセント当たるくじ引きは、その箱の中という限定があって、初めて成立する。この世の十割はそういう形でしか存在を許されない。
だから、ここでは、自分にとって、他人にとっての最良の選択。自分を騙してしまえるほどの論理を手にし、浮上することが望ましい。そして、絶望の海など忘れて、幸せを存分に味わうべきだ。そうすることが出来たなら、この先を読む必要性はこれっぽちもない。
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