絶望の海へようこそ

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絶望の海へようこそ

 まず、絶望の海での理想的な生き方を紹介しよう。  一、全てのものを捨て去る。  二、全てを考える為に費やす。  三、怒りや憎しみを忘れないこと。  一、二についての説明は必要ないだろう。代償など幾らでも払ってきたはずだ。払えば払うほど成果は手に入る。ただ、問題は三だ。これは一と二の前提に反している。捨て切れていないと否定されるべき、条件だ。  何故これが必要かと言えば、一、全ての物を捨て去るの時点で、命や個性、あるいは肉体を捨て去ってしまうからだ。これが心を失った者の自殺である。私が名付けるところの終心。これを得てしまうと、安らかな眠りについてしまう。それは望むところではない。  つまり、終心の至りに辿り着く前に、どうしても捨て切れない怒りや憎しみの炎が胸に宿っているかどうか。これが生死を分けることになる。それがなければ帰ることをお勧めする。  絶望の海で息をするとは怒りや憎しみを酸素と変えること。他の感情でここに居られるかどうかは検証していない。特に憎しみだけは持っていなければ、ただ沈んでいくだけである。  ここまで辿り着けている人間は、自分以外の生物に対して恨みなど抱いてはいられない。哲学し、この世界そのものを敵とすることになる。それは道理。世界の常識。宇宙の常識。それ以上の何かに対しての闘争だ。  これは幻想で、人間一個にできることではないと考えるようなら、まだ大丈夫だ。  この海に浸かっている必要はない。そもそも、ここばかりがその全てを決する場所ではない。快楽、優越の先であろうと、優しさや慈しみの先であろうとこのような場所は存在している。絶望の海と呼称する必要もない。あるべき形を望んでくれ。
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