絶望の海の淵

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絶望の海の淵

 絶望の海は昏い。そもそも、目が無く、耳も無く、舌が無く、鼻もない。誰かと触れ合っているかさえも判らず、在るのは己の考え、妄想などの思考である。だから、絶望の海は昏い。いや、絶望の海とは存在しない場所だ。少なくとも誰も証明できない。  ただ、ここが何処かは説明出来る。それは己が心だ。宗教的に言えば神域、あるいは冥界や魔界などと称することもできる場所。地獄と表現する方が適切かもしれない。  常に熱に焼かれるような苦しみと、少し身動きするだけで絶望の海そのものが消滅しかねない。例え、冷静を貫こうと、自我が喪失しかけるため、己を探して、さ迷わなければならない。環境は劣悪だ。  けれど、実はとても素晴らしい場所だ。一から石を積み上げて家を建てるような感覚で、世の理を作り上げることができる。それが現実と重なるとき、たまらないほどの快感を得ることができる。もしも、自身の非現実を発明という形で現実に呼び起こすことができたなら、そのショックで死んでしまう。いやいや、死んでしまってもいいと思えるほどだろう。  その後にやってくる、己が行いの愚かさに身を焼かれたとしても、その道を進まざるを得ない。何故なら、怒りと憎しみが存在しているからだ。それが無い者はこんな処に居てはならない。  絶望の海での生活は、傲慢、怠惰、色欲、暴食、憤怒、強欲、嫉妬を友とするのが基本だろうか? いやそればかりではなく、単純に言えば、自身のやる気、気力を引き出すことが可能なものならば何でも構わない。  傲慢は己を信じることに繋がり、怠惰は己を休め、色欲は己を奮わせ、暴食はここぞという時の踏ん張りとなり、憤怒は己に解を与え、強欲は更なる高見を目指し、嫉妬は神すらも引きずり落とすことになるだろう。  ただし、これら全ては意外と脆い感情だ。絶望の海に居る者なら、その全てを昇華して美徳に変えてしまえる。神聖な者と成りて空に還ってしまうのだ。  最後に頼るもの。最後に己を引きずり落とすのは、己の記憶にある憎しみだけだ。いや、例え記憶が失われても消え去らないものと表現すべきだろう。もしも、それを失って、泳ぎ切り、辿り着いたなら、そこにある何にも代えがたいものを大切にしてくれ。
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