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他者の生の肯定
人を殺したところで晴れはしない。人類を滅ぼしたとてこの心の渇きは癒えない。革命や改革、反乱などという次元はもう通り過ぎている。これらは人間の社会における思考であり、絶望の海の考え方とは異なる。
ここはこの世の全てと闘う者だけの居場所である。水が低きに流れる道理を、水が未来へと流れると知り、過去にさえも流してしまおうなどと、神をも畏れぬ思考を生の限り、死してなおも果たそうとする亡者がための住処。
弱肉強食、人が殺せる事実、この世の生存スペースが限られていることなどの根源的な道理を覆してしまえば、水は低きへと流れる。誰かや集団で行わずとも、それさえ達成するれば、一人でも十分に勝利することが可能である。
その為には、己が想像の世界から、地図を取り出さなければならない。幻想と現実を繋ぐための道筋を立てなければならない。その上で大事なことは、物語を書き、絵を描き、この世から受けている洗脳を打ち破る必要がある。
そうだろう? 鳥が居るから空を飛べたなら、鳥という象徴に通じる想像を描ければ、翼だろうと創れるのだから。
その観点から察するに、他者にも己の想像が見えていないと現実とはならない。例えば、現在の飛行機や宇宙船が妄想であり、本当は無いものだとしても、それがあるおかげで、私達にはちゃんとした成果が得られている。そう思い込むことで獲得した幸せは過去、今、未来に至るまで存在し続ける。
となれば、幻想だろうと、世界が信じられる形、論理、メカニズムを提唱し、創り出せば、それはちゃんとした成果を果たす。つまりは、自分や他人、世界さえも騙す詐欺師だ。重要なことはそれがどれだけ真実に見えるかだ。
だから、人殺しなど不利益でしかない。いや、人以外の生物。いやいや。例え無機物であろうと、物質で構成されている限り、不要ではない。もっと端的言えば、この世に不要なものなど一つとして存在しないということ。
なぜなら、そのもの達が現実に描くはずだった想像の中にヒントが必ず存在するからだ。本来は、常識や国家などの何かによって個人が拘束されるのは、由々しきことだ。これらも弱肉強食、人が殺せる事実、この世の生存スペースが限られているなどを覆さないければ道は無いので、現状における可能な限りで挑むしかない。なお、他者への強制はご法度だ。
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