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「ねえ、先輩。覚えてます?」
この後輩は突然何を言い出すんだ。
「私との出会いを」
もう高校3年にもなって、受験を控えている身である俺は、どうせ家に帰っても集中できないだろうからと、適当な空き教室を見つけて勉強をしていた。
そんな俺を一体どこから聞きつけてきたのか、それとも野生の感が働いたのか知らないが、学年のマドンナと噂されている2個下の後輩が、目の前の席に座りながらも俺が使用している机に頬杖をして真っ直ぐこちらを見てきた。
そして冒頭のこれである。マジ意味わからん。それより勉強の邪魔だから、最低でもその肘を退けてほしい。
「もう、無視ですか?先輩」
ぷくーっと膨らませてちょっと怒り気味な彼女は、学年のマドンナと言われているだけあって可愛い。こんなちっぽけで当たり障りのない、大して面白みのない言葉で表現するのは失礼なのかもしれないが、脳を勉強に割きたいので許してほしい。
そして、俺は彼女の質問に答えないといけないようだ。仕方ないので無言でカリカリと動かしていたシャープペンシルを一旦止めた。
「……お前との出会いだろ?」
顔は手元のノートを見たままだが、目線だけ彼女に向けると、俺の意識が彼女に向いたことが余程嬉しいのか目をキラキラと輝かせていた。とりあえずシャープペンシルを持ったまま、顎に手を当てて考えるそぶりを見せる。
「……購買でラスト1個だったメロンパンを譲った時だよな」
何となくとしか覚えていないが、確かその時が初対面だったと思う。自信はちょっとない。でもそこから頻繁にって程ではないけど、そこそこに交流はしてきた。
……よくよく考えると何故彼女は何の取り柄のない、ただメロンパン譲っただけの俺に関わっているんだ?
「そうですけど、そうじゃないんですよねー先輩」
「は?」
何言ってんだこいつ。
俺は必死に記憶の引き出しをひっくり返す勢いで中身を漁るも、あの時のメロンパンよりも前にこんな美女と出会った記憶がこれっぽちもない。もっと言えば親戚や知り合いにもこんな美女はいない。何かの間違いじゃないだろうか。
「もう、本当に覚えていないんですか?」
腑に落ちない俺の態度に気を悪くした彼女は、再び頬をぷくーっと膨らませた。可愛い。
「あの時お腹を空かせた私に、お弁当のおいなりさんを分けてくれたじゃないですか」
もう一度言おう。何言ってんだこいつ。
俺はこんなどえらい美女に稲荷寿司を分けてやった記憶なんてどこにもない。こいつ、夢と現実の区別がついてない危ない奴なのでは?と大変失礼なことを思ったが、真剣な眼差しをこちらに送ってくるので仕方なく稲荷寿司を分けた記憶を探ることにした。勉強させてくれ。
目を閉じ腕を組んで、うんうんと唸りながら微かな記憶を辿っていく。そもそも弁当に稲荷寿司を持つことなんてあっただろうかと思い始めると、ちょうど3拍置いて1つの記憶が蘇った。
俺が通っていた小学校では、月に1回お弁当の日があった。例に漏れず、その日はお弁当の日で、確か運動会でも遠足でもないのに母さんが気合を入れて稲荷寿司を弁当に入れていた。そしてお腹を空かせた子を見かけた俺は可哀想に思って、稲荷寿司を1つあげたのだ。
でもこの記憶が正しければ、俺が稲荷寿司をあげたその子は、人目を避けるように木陰に隠れていた子狐だったはず——。
ハッとした俺は思わず目を見開いて、目の前の彼女を見やった。
「やっと、思い出してくれましたね、せ・ん・ぱ・い」
語尾に音符が付いてそうな明るい声で話す彼女は、笑顔で舌舐めずりしている。でも頭には愛らしいモフモフな狐の耳が一対生えていた。
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