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一
何時間もここで寝ていたような気がするアパートの一室。妻の台所で料理をしている音で目が覚めた。
「おい。今って何時?」
「夜の十一時だけど」
ようやく目を覚ましたかという風な冷たい眼差しで、妻がチラリとこちらを向いた。
「今から夕飯作るから待ってて。あなた、お腹空いたでしょ?」
「ああ」
こんな遅い時間なのに何か料理を作ってくれるようだ。
「ねえ、あたしの大好きな料理覚えてる?」
台所から妻が僕に背を向けて話しかけてきた。当然僕は知っている。夏でも冬でも食卓によく並ぶミネストローネだ。真っ赤なトマトを潰して細かく刻んだ玉ねぎやじゃがいも、ズッキーニなどの野菜と一緒に煮込んだスープ料理。妻は好んで燻製ベーコンも細かく刻んで入れている。うま味と酸味が凝縮した料理。一杯飲んだだけで温まる至福の味わいだ。
妻はよくこの料理を「初恋の味」だと称して味を調整していた。機嫌が悪い時には酸っぱく、愛をささやく時には深みのある味わいに。
「ねえ、あなた〜。今日はどんな味にする?」
ニンニクとバターを炒める香りが漂ってきた。そしてまな板をトントントンと叩く音も響いていく。いつも通り具材を細かく切っている音だ。
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