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第三章 面会
次の日、僕の病室に二人の警察官が来た。
「私は交通捜査課、巡査部長の笹山です。こちらの女性警官は部下の三木巡査です。君は半年間の昏睡状態から昨日目覚めたようですね」
「はい、そのようです」
「担当医から聞いたのですが、自分の名前も思い出せないのに事故の相手方の名前を知っていたとか?」
「はい」
「確認しますが、相手の名前を担当医に何とお伝えしたのですか?」
「兎山あかり、と」
「ふむ。私の手帳とペンを貸すので、その名前を此処に書いてくれないか」
「分かりました」
僕は、笹山巡査部長から手帳とペンを借りて、覚束ない持ち方で"兎山あかり”と書いて渡した。
「妙ですな」
「何がですか?」
「普通は『とやま』と聞けば、富士山の富に山と書くのが一般的だ。いや、間違っていないのだが、どうして兎だと知っている?」
「彼女から聞きましたから」
笹山巡査部長と三木巡査は顔を見合わせる。
「分かりました。また来ますね」
警察官の二人は病室を出て行った。
その夜。
僕が寝ていると右側から声がする。
「ねぇ、起きて」
目を覚ますと、兎山あかりが僕の身体を揺すっていた。
「兎山さん!」
シーッ! と言って僕の唇に人差し指を当てる。
「この前は突然居なくなってゴメンね。あたし医者苦手なの。こっそり病室を出たんだ」
足音も立てずに消えるように病室を出るなんて、忍者か! と突っ込みたくなるが人差し指で塞がれたままだ。
「あのね、君に伝えなければならない事があって来たんだ」
兎山さんは、そっと唇から指を離す。
「何?」
「あたしの家族がね、君が目覚めたと警察から連絡が来て、家族が君にあたしの事を聞きたいらしいんだ。特にお父さんは、君に怒っているようだから。たぶん明日、この病室に警察官付き添いで来ると思う。気を付けてね」
「気を付けるって、何を?」
「お父さんを更に怒らせないように、かな。あたしもう帰らないと。じゃあね、バイバイ」
兎山さんはそう言って笑顔で手を振りながら病室を出て行く。
「ちょ……ちょっと待ってよ!」
僕の声は虚しく病室内に響いた。
次の日。
兎山さん家族と笹山巡査部長と三木巡査が病室を訪ねて来た。
家族は父親と母親、それに小学生の男の子だ。
おそらくは兎山さんの弟だろう。
「初めまして、いや、君が昏睡状態の時に実は何度も来ているからこちらとしては、初めてという気はしないのだが、話するのは初めてだな」
兎山さんの父親は、厳しい顔をしている。
「初めまして」
僕は、丁寧に頭を下げながら挨拶をする。
「君は、あかりの事を知っているのかね?」
厳しい顔をされたまま訊かれる。
「知っているというか、一方的に話されたというか」
「というかという言い方はやめてくれ! こちらは真剣なんだ!」
「……すみません」
「君の名前は?」
「ごめんなさい。まだ思い出せません」
「自分の名前も思い出せない君がなんであかりの名前は知っているんだ! 責任を負いたくないから演技をしているんだろ!」
「決してそんな事はありません! 本当なんです! あかりさんの名前を知っているのは聞いたからです!」
「誰に聞いたんだ?」
「本人です!」
「馬鹿を言え! あかりはな! お前に殺されたんだぞ! お前にぶつかる直前に名乗る訳があるか! 巫山戯るのも大概にしろ!」
父親は病院着の襟首を掴まえて乱暴にも僕の上半身を起こす。
「え? 殺された?」
「お父さん! 彼はまだ昏睡状態から目覚めたばかりなんですから!」
笹山巡査部長が強引に僕の病院着から父親の手を引き離しそのまま羽交い締めにして病室から退出させようとする。
三木巡査もバタつかせる父親の足を持つ。
「離せ! 許さんぞ! 良いか! 本当の事を言って謝るまで許さんからな!」
兎山さんの母親は、強引に退出させられた夫を見届けると
「ごめんなさいね。貴方に乱暴な言動しないという約束で面会が許されたのよ。それなのにごめんなさいね」
「あの。あかりさんが殺されたって僕にですよね。半年前にぶつかって亡くなった。そういう事ですか?」
「貴方が、嘘を言っていない前提で話すわ。あかりは半年前、いつもの塾へ行く途中に赤信号で信号待ちしていたところ、貴方の自転車に轢かれたのよ。私達は、貴方にも苦しんで欲しいの。私達は、何故何も悪くないあかりが死ななければならなかったのか苦しんでいるわ。だから、当事者の貴方も苦しみなさい!」
母親は弟の手を取り病室を出て行く。
病室を出る直前に手を引かれた弟は、一瞬、僕の方を見た。
泣き声は出さないものの、グッと噛み締めたまま涙を流していたようだ。
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