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「ん、できた。もう動いてもいいぞ」
「あ……さ、サンキュっ」
帯の形を整え、着付けが終わったことを告げた俺に、肩越しに振り向いた笑顔がひらめく。
どことなくぎこちない、初々しい表情だ。照れているのか、緊張しているのか。
「……ふっ」
どちらにしても、可愛い。たまに聞く、『可愛いが過ぎる』とは、こういう時のことを表現する言葉だろうか。
むず痒さを含んだ笑みを見せてくる恋人に、俺らしくもなく、ついつい口元が緩んでしまう。
「浴衣、良く似合ってるぞ」
綿菓子のようにふわふわと甘い、『好き』という感情に支配され、相手の髪を優しく梳いては、また微笑むということをしてしまう。
無表情がテンプレだの、朴念仁で無愛想だのと揶揄される俺なのに、コイツといるとキャラを裏切ってばかり。本当に罪な恋人だ。
さて、俺も浴衣に着替えて、ふたりでビーチに繰り出すとするか。じきに、花火が打ち上がる時間だ。
「ととっ、土岐! 俺さ、下のキッチンに忘れ物しちまったから取りに行ってくる! てか、そのまま外で待ってるから! あ、土岐はゆっくり着替えてきてくれよなっ。じゃっ!」
けれど、ふわふわと甘いひと時は唐突に終わる。
不意に大声をあげた武田が、バタバタと部屋を飛び出していった。忘れ物をしたらしい。
が、『先に外で待ってる』と言っていたソイツのバッグの横に下駄が置きっぱなしなのを見つけてしまった。
アイツめ。慌ててたから忘れたんだな。
「おい、忘れ……」
「——秋田、助けてっ」
「は?」
なんだ? 今の声は……。
スマホを耳に当て、階段下のホールへと消えていった後ろ姿から足音に重なって聞こえてきた声は、なんと言っていた?
『助けて』
そう、言っていなかったか?
誰に?
「お前……なぜ、秋田に助けなんか求めてる? ここに、俺がいるのに」
なぜ、今、秋田に電話なんかする必要があるんだ。しかも、俺に隠れてコソコソと。
——ギリッ
渡してやるつもりで指を引っ掛けていた下駄の鼻緒が、ぐっと握り込んだ俺の拳の中で捻れ、鈍い音を立てた。
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