恩人

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恩人

 私は昔、川遊びで溺れかけて、誰かが川に飛び込んでくれて、岸に上げてもらえた。  その人は騒動の中、すぐに去ってしまったので、名前も知らない。  あの時の私はまだ子供で、溺れかけていて記憶が薄れていて、命の恩人のことは本当にうっすらとしか憶えてない。  影は、四角い頭部と力強さがある体の輪郭だった。  その人からは、包み込むような優しさを感じた。  大きな心がある人だなって思えた。  だから、初めて伊藤青蔵を見たとき、ああ、あの人だと思った。  ずっと思い描いていた、私の恩人だって。  だから、入学式が終わったとたん、両親とのお祝いや記念写真もそこそこに、私はお礼を言おうと思って、伊藤青蔵を探して校舎内を歩いたんだけど・・・  あの時は見つからなかった。  まだ不慣れな校舎で、どこに何があるのかさえ分からなかった。 (今日こそ、見つけよう)  だから、その日は、絶対あの人をつかまえようと思って、あの人を探し歩いたんだ。  だんだんと私も学校の校舎が分かってきて、三年生である生徒たちがどこにいるかも分かってきた。  スカイアンドシー中学校は、石畳の庭がずっと続いていて、空気を綺麗にするスダジイなどの大木と、季節の花を植えた色とりどりの円形の花壇が置かれている。  季節は春で、白い校舎にかかる大きな桜の木が見事に咲き、伊藤青蔵は校舎に向かって、ちょうど歩いているところだった。  辺りが淡いピンク色に染まって、背に桜を背負って立つ青蔵の姿は、この世に現れた天使みたいに美しかった。 「あの、すいません」 「はい?」  私が声をかけると、伊藤青蔵は立ち止まって振り向いた。
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