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「久しぶりにどこか出かけませんか。『でーと』というやつですよ。」
どういう風の吹き回しか、そんな調子で妻は私を誘った。
「くだらない。」と言いつつ仕事が休みだった事もあり、特に予定もなかった私はそれに何となく応じた。
妻の言葉を借りれば久しぶりの“でーと”私は仕事にかこつけて家を空けがちであったし、息子が結婚し二世帯暮らしになってからは妻と二人で過ごす時間は皆無といってもいいほどだった。
その所為もあってか少しはしゃぐ妻を尻目に、私は気まずい心持ちで妻の世間話に「そうか。」だとか「ふん。」であるとか軽く合鎚を打つだけだった。
街を歩いたり、百貨店を見て回ったりした後、少し早い夕飯に天ぷらを食べ、店を出る頃には辺りは暗くなっていた。
「そろそろ帰ろうか。」帰路についた時だった。
ピトピトと、冷たいものが頬に当たる。街灯に照らされた地面にポツリポツリと無数のシミが出来始めたと思うと、ザアアザアアといきなり雨が降り出した。
その予報はずれの雨に、傘を持たない私たちは溜まらず、シャッターの閉まった銀行の軒下に避難した。
「随分、降ってきちゃいましたね。」
言葉とは裏腹に、妻は少し愉快そうに、軒下から手だけを出して、そう笑った。「何を暢気な。」私は思いながらため息をつく。不意に吹いた十二月の風が、マフラーを崩すので、私はそれを左手で直す。
「今、タクシーをーー」
丁度、信号待ちをしている1台に目をやり、私は右手を上げた。しかし、そんな私を制するように、袖をつまんで、妻はゆっくりと首を左右に振り、にこり優しく微笑む。
「まあいいじゃないですか。通り雨のようですし、すぐに止みますよ。雨宿りというのも一興でしょう。」そうは言うものの、妻はその後、特に言葉を発する事もなく、ただただ、落ちてくる雫を見つめているだけだった。
暫く、沈黙が続き、私は柄にもなく何か話そうと思うのだが、なかなかうまい言葉が見つからなかった。
そんなとき、若い男女が、上着を頭の上にゲイラカイトの様にかぶせ、傘の代わりにしながら、小走りで軒下に入ってきた。男の方は背が高く、上下ジャージにパーカーをかぶっており、濡れたジャンパーを手で叩いている。
女の方は、ベッドからそのまま外に出た様な寝間着姿で、けだるそうな顔をしている。
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