【短編】雨宿りの話

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「ちょー最悪。つーか災厄。びちょびちょだし。」軽薄そうな男が言うと。「ウケる。」言葉とは裏腹に女はガムを噛みながらけだるそうにぼそりと、言った。「最悪」はまだしも「災厄」という言葉を知っている事が少し意外に感じられた。そのあとも実のないくだらない話をぺちゃくちゃぺちゃくちゃと話す2人組と、いっこうに止む気配のない雨にイライラし始めた私は、無意識に舌打ちをし、地面を足で小刻みにたたく。そうこうしているうちに、男女は信じられない事に濃厚なキスシーンを始めた。私も妻もいるというのにである。「全く、最近の若いもんは。」私は若いカップルから視線を外し、ぼそりと、そう言う。すると、ずっと黙っていた妻が、カップルの方に一度目をやり、私に視線を向けるていたずらっぽく笑った。 「なんなら、私たちもしちゃいましょうか。」 「ば、馬鹿な事を言うもんじゃない。」 私は顔を赤くして、目を逸らす。妻はそんな私の姿が可笑しいのか、けたけたと声を出して笑っている。  今日の妻はなんだか様子がおかしい。普段は、無駄な事は話さず、こんな冗談を言うことなど、あり得ない事だ。きっと、夕食に立ち寄った天ぷら屋の日本酒に、少し酔っているのかもしれない。  心なしか、明かりに照らされた頬が少し、薄紅色に赤らんでいる気もする。 「私は少し、羨ましいですよ。」 妻は、そこで一度、ため息をつくと、私を見て微笑み、続ける。 「おばさんになっちゃいましたからね。あんな風に、周りを気にせず、自分たちに素直になる事なんて、もう出来ませんものね。」 妻の表情はどこか寂しげだ。街頭に照らされたその白い肌には皺が出来ている。年相応と言えばそれまでなのだが、私がそうであるように、彼女もまた、年を取ったという事なのだろう。そう思いながら、もう一度カップルの方を見る。 「何見てんだよ?」であるとか、「覗いてんじゃねぇよ。」などと因縁を付けてくるに違いない。私は覚悟を決め、身構えた。 が、私の前で、足を止めた青年の言葉は、私の予想とは違うものだった。
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