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当時、花形だった都市銀行に入った。入行式の日、「女性の総合職は数例しかない。後進の規範になれるようがんばりなさい」と聡明そうな役員が言ってくれた。だが、聡明な男性に出会ったのは後にも先にもその一人だけだった。
男性の同僚からは腫れ物に触るような扱いをされ、一般職の女性たちには嫌がらせを受けた。取引先に電話をすると「男を出せ」とすごまれ、残業をしていたら支店長をはじめとする上司から当然のように肩をもまれ頭をなでられた。酒席では、社内も社外も関係なく、お酌を強要されたり身体を触られたりした。
それでも歯を食いしばりながら働き続けた結果、本店の企画部企画課という花形中の花形部署に配属された。当時は舞い上がったが、精神が疲弊しきっていたのだろう。いつしか私は上司と不倫関係になっていた。
やがて妊娠が発覚したとき、私は産むと言い張った。相手の男の地位や自分の社会的な体面を守るために、宿った命を消すのはおかしいと思ったからだ。
その結果、私は退職を余儀なくされ、男は別会社に出向させられた。さらに、男の妻からは慰謝料を請求され、実家からは「体裁が悪いから帰ってくるな」と言われた。
当時も、乳飲み子を抱えた女一人が生きていくには厳しすぎる社会だった。それでもなんとか糊口をしのげたのは、支店時代に親しくしていた取り引き先に拾ってもらえたおかげだった。
そこは、女性の人権問題に熱心に取り組む弁護士事務所だった。女性の所長が私のキャリアを買い、声をかけてくれたのだ。以来、約20年に渡って弁護士秘書として働くことになるのだが、やはり、一人で子どもを育てながら働く苦労は尋常なものではなかった。
長年の無理がたたったのだろう。還暦まであと数年、そろそろセカンドライフを考え始めていた時期に末期のすい臓癌が発覚した。
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