光に手を伸ばす

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 幼なじみのユキトが死んだ。  すすり泣く声があふれる教室で、俺とあいつの目から涙が流れることはなかった。  現実を受け入れられる日が来ることなど想像もできない。  あれから何日経ったのだろう。自室のベッドで俺は高熱にうなされていた。  カーテンどころか雨戸まで締め切ったままの部屋で、暗闇と澱んだ空気が混じり合う。俺も一緒に溶けてしまえたらいいのに、朦朧とする頭はそんなことばかり考えてしまう。  健康だけが取り柄だったのに飯もまともに食えない。ユキトのせいだ。喉の渇きが邪魔をして恨み言すら吐き出せない。  その週は登校できないまま、金曜日の放課後になったらしい。そう認識できたのは、暗い部屋に差し込んだ夕焼けとともに制服姿のルイが現れたからだ。  俺と、ユキトと、ルイ。  同い年で同じマンションに住んでいる俺たち三人はいつだって一緒だった。  高二になった今年は十年ぶりに三人揃って同じクラスに集まることができて、修学旅行もあることだし、それはそれは楽しい一年になるだろうと思っていたのに。  のろのろと体を起こしベッドサイドランプにそっと触れると、温かみのある橙色が枕元にぼんやりと広がった。自分では絶対に選ばないであろう円柱形の洒落たデザインのランプを、誕生日に贈ってくれたのはユキトだった。 「熱は」 「だいぶ下がった」  掠れた声で答えると、目の前にスポーツドリンクのボトルを差し出される。手にうまく力が入らず開封に手間取っていると、横から伸びてきた手がいとも簡単にふたを捻った。 「メシは」 「やっとお粥くらいなら食えるようになった」  ボトルに口をつける。やけに甘く感じる液体が荒れた喉を痛めつけながら通り過ぎていく。軽く咳き込む俺をルイは黙って見ている。いつもと変わらない愛想のない表情で。  体調を崩したのはたまたまなのか、ユキトを失ったショックからなのかはわからないが、罪悪感のようなものに襲われていた。一番悲しんでいるはずのユキトの両親が、俺を心配して果物を届けてくれたのは昨夜のことだった。  いつも優しく俺たちを見守ってくれるおじさんとおばさん。そんな二人に育てられたユキトは俺たちの中で最も陽気な性格で、周囲からの人望もある自慢の幼なじみだった。 「なんでユキトが死ななきゃいけなかったんだよ」  胸にぽっかりと空いた穴に冷たい風が吹き込む。この喪失感を共有できるのはルイしかいない。  だけどルイは俺の望む言葉を返してくれなかった。 「俺はあんなやつさっさと死ねって思ってた」  驚愕するよりも早く、一瞬で心が凍りついたような気がした。ルイは淡々と話し続ける。 「本人にも言ったし、あいつだって俺にそう言った。最後に会ったときも」 「……は?」  これは本当にルイとユキトについての話なのだろうかと混乱する。ルイは無愛想だし口数も多くはないが、今までこんな暴言を吐いたことはなかった。 「だから、俺のせいかもな」 「……そんなわけないだろ。あれは事故だ」  ユキトはトラックに突っ込まれて死んだのだ。心筋梗塞を起こしていたという運転手も助からず、俺はどこにも怒りをぶつけられずにいた。 「おまえらだって仲良かっただろ……なんでそんなこと言うんだよ」  二人が喧嘩したまま、仲直りすることが二度と叶わないと知り、胸がぐちゃぐちゃにねじ曲がりそうになる。そんな俺にルイはまたしても衝撃的な言葉を贈ってくれた。 「恋敵だったから。俺もあいつもおまえが好きだ」  目を見開いて、ランプが淡く照らすルイの顔を凝視する。 「……冗談やめろよ」  ルイを睨みつけながら、俺はユキトが約束を果たしてくれていたことを知った。 「悔しいだろうな。ユキトは二度とおまえに触れられない」  愉悦を含んだ声色に背筋が震えるのを感じながら、伸びてきた手に肩を掴まれそのままベッドへと縫いつけられる。ガッシリとした体が俺を押さえるように乗り上げてきて、シングルベッドが悲鳴をあげるように軋んだ。 「ユキトのことは忘れろ」  無理やりTシャツを剥ぎ取られ、汗ばんでいる肌の上をルイの手が滑っていくが抵抗する気が起きない。気力や体力が残っていなかったというのもあるが、その感触が心地いいと思ってしまったから。  そういえば俺たちを引き合わせたのもユキトだったなと遠い記憶に思いを馳せる。俺もルイも人見知りが激しいタイプで、互いの存在が気になってはいたがなかなか話せずにいた。  その壁をぶち壊してくれたのはユキトなのに、なんで勝手にいなくなってるんだよ。 「……っ」  鎖骨の窪みに熱くてぬるりとしたものが這うのを感じ、体が大きく跳ねる。ルイに舐められている。その羞恥に焼かれるように、せっかく下がった体温が一気に上昇していく。 「忘れられるわけないだろ」  ルイから目を逸らさずに言い放つ。 「ユキトは俺の中で永遠になった。きっと時間が経つごとに美化されていく」  挑発するように言うと、ルイの乾いた指先が両胸の先端をきゅっと摘んだ。 「んっ……あ、やめろ、それ……」  優しく捏ねられていると、じんわりとした甘さが腰のあたりに落ちていく。 「おまえは神聖化してたけど……ユキトはクズだぞ。おまえとヤリたいとか襲いたいとか、最近はそんなことばかり言ってた」  ふ、と気づかれぬように小さく鼻で笑う。 「おまえだって……恋敵がいなくなったからってソッコー襲うクズじゃん」  嘲笑を向けるが、一番のクズが誰なのか自覚していた。  ルイに触れられて俺は今幸福を感じていた。ユキトがいない世界だというのに。  俺に任せておけよ、とめずらしく意地悪な笑みを浮かべたユキトを思い出す。俺を好きだとか、ヤリたいとか襲いたいだとか全部、ルイを焚きつけるための嘘だ。  俺はずっとルイが欲しかった。  ルイの手が蛇のように下着の中に忍び込んでくる。触れられてもいないのに高まっている熱を刺激されると、あまりの快感に涙が出そうになった。 「あ、う、ルイっ、やだ……」 「気持ちいいか?」  見たこともないくらい優しい眼差しで問われ、素直に「気持ちいい」と答えてしまった直後、その唇を塞がれた。いつも冷静なルイからは想像できない激しさに呼吸もままならない。 「ん、ん、……っ」  口内を蹂躙する舌もやっぱり蛇のようだと思った。解放され息も絶え絶えになりながら、俺はルイに告げる。 「おまえは……俺より先に死ぬなよ。死んだら殺す」 「……ああ」  追い上げるように動かされる手の感覚に身を委ねていると、頬に熱いものが零れ落ちたような気がした。それは俺の涙だったのか、それともルイのだったのか。わからないし今はどうでもよかった。  ユキトがいない暗闇のような世界。  まぶたの裏で明滅する白い光に、手を伸ばす。
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