第一話 腐敗の魔道士

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 レオニールは矢筒に納まる矢羽を、トネリコの杖頭で軽く叩いた。そして、呪文の詠唱を始めた。途端に辺りの空気が張り詰めていく。 「一命の兆し(エヤン)二重の光陰(ブロイ)三界の彼方(サルヴァトイ)四つ星の瞬き(ジグレン)彷徨の五魂の児らよ(ジェニュエラム)……」  矢の本数分ほどの言葉を掛けると、矢は淡い光に包まれ、矢筒から飛び出した。そして、レオニールの周囲中空で全ての矢が静止した。 「五つ(たま)()らは報われぬ剣。親の屍を踏み越え、汝の敵を討ち取れ……。一命の兆し、閃光となれ(エヤン・デ・シャウ)!」  黒い頭巾の中で、レオニールのガラス玉のような瞳がハルピュイアを捉えた。トネリコの杖を上空のハルピュイアへ向けると、光の矢の一本は光線となってハルピュイアを貫いていた。貫かれたハルピュイアは、無抵抗のままその地へと落下していった。襲撃を受けたハルピュイアは喚き散り、レオニールに向けて滑空してきた。 「二重の光陰(ブロイ)三界の彼方(サルヴァトイ)四つ星の瞬き(ジグレン)彷徨の五魂の児らよ、求めし親の屍を抱け(ジェニュエラム・デ・モイ・シャウゼン)!」  呪文を受けて、残りの矢も一斉に光線となってハルピュイアへと襲い掛かった。辛うじてハルピュイアは矢を避けると、けたたましく奇声を上げた。食事の邪魔をする襲撃者に激しい怒りを剥きだして、レオニールに再び向かってきた。 「無駄ですよ。僕の矢からは逃れられない。報われぬ魂が親の屍を抱くまではね」  外れた矢は全てその軌道を(ひるがえ)し、ハルピュイアの背後から襲い掛かった。全てのハルピュイアは魔法の矢に撃ち抜かれ、そのまま墜落していった。撃ち抜いた矢は再びレオニールの周囲で静止していた。 「ハルピュイアの汚らわしい血で汚れてしまいました。もう、この矢はいりません。堕ちよ(デヴォイ)」  そう発すると、矢はレオニールの足元に転がり落ちていった。落ちた矢から赤子とも胎児とも言える嫋々(じょうじょう)たる泣き声と共に、矢から光は消え失せていた。  ただ魔法で矢を飛ばしたという子供騙しの魔術ではない。おぞましいことだが、この世に生まれ出でることのなかった無念の思いを抱く水子の魂を矢に宿らせ、その怨念を力と変えた、レオニール独自の魔法の矢だった。報われぬ胎児や嬰児(えいじ)の魂は、言い換えるならば妖精だ。不吉なる妖精の矢といえた。  たとえ同じ魔法といえども、術者次第で魔法は雲泥の差があるものだ。師の下で教わりただ修得する、あるいは、過去の遺物から掘り出してただ発現するという稚拙な魔術ではない。彼は魔術への飽くなき探求を示す、魔道士と呼ばれる魔術師なのだ。その理は内外的な世界へ揺れるもの。  人と(おぼ)しき樹木からは、今も唸るような苦痛の悲鳴が鳴り止まなかった。 「まだ死にきれませんか?さすがはアルファヌです。しかし、この森にはもう、貴方たちを潤す水源も枯渇しつつあります。水は僕と共に去ったのです。苦しんで死になさい。それが償いだ」  サラニアという人命の創造といい、先ほどの妖精の矢といい、彼からは森と等しい腐敗がもたらす、心に(ひるがえ)るような邪悪なものしか感じられなかった。彼は魔術の理念から踏み外してしまった、背徳者(ソーサラー)と呼ばれる忌まわしい魔術師だった。  黄土色に明滅するミスティアの中を抜けると、人足も絶えた石造りの神殿址(しんでんし)が現れた。崩れかけた列柱が並び、地階は開けているようだ。蔦が列柱を這い上がり、神殿上部にまでびっしりと達していた。列柱を抜け、地階広間から緩やかな階段を上がって二階へと出ると、そこは祭壇の間だった。使われなくなって久しいのだろう。石造りの目地にも雑草が根を張っていた。  レオニールは祭壇前で立ち尽くした。何やら思い起こそうとしているようだ。レオニールはここで少しばかり、思い出される記憶に思い(ふけ)ていった。
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