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3 マイクにキス【side僕】
「――リーチ、本番1分前。・・・・・・初メイン、がんばれよ!」
ガラスの向こう側からスピーカー越しの声がかけられた。僕は大きくガッツポーズを見せて目の前のマイクにキスをする。――――――ライブ前にやっていた、緊張を解すためのちょっとした儀式。
スタッフの指が1になり、オンエアのランプが点った・・・。
地元から離れ、隣県のFM局に入社して4年。2年の内勤を経て、声がいいからと番組のアシスタントに抜擢された。その時のメインを務めていた女性アナウンサーに気に入られ、彼女の番組をちょこちょこ手伝わされているうちに声を届けるこの仕事に遣り甲斐を感じるようになっていた。
元々声を届けるのが好きだった。僕の歌を聴いて楽しんでくれる人たちの顔を見るのが好きだった。
ただ、大好きだったバンド活動は高校卒業と同時にやめてしまい、実家にはなかなか戻る機会の少なくなった今では、喋る以外マイクに触れることはない。―――――ここには僕が歌っていたことを知るひと自体、いないだろうけど。・・・・・・そういう環境に、僕が自分の意思で逃げてきたんだから。
小さなころから音楽がそばにあった。実家がジャズバーを営んでいたこともあり、プロアマ問わず大人たちに交って音楽に触れていた。月に一度は父がウッド・ベースを、母がピアノを、そして僕がヴォーカルで来店したお客さんたちに聴いてもらって・・・。僕にとって好きなことを好きなだけできるその環境は本当に楽しくて幸せで、音楽に触れる時間だけあればそれでいいとさえ思っていた。
――――けど、高校1年の秋。・・・僕は初めて恋をした。
学校祭が終わった後くらいからよく声をかけてくれるようになったひと達の中に、どうしてもニガテなひとがいた。そのひとはいつも僕を睨むように見据えていて、僕が視線を合わせて少し微笑んでみたりするとスっと視線を逸らしてしまう。だから、僕の事をあんまり好きじゃないんだって思っていたんだけど、不思議な事に、校内だったり登下校中だったりライブの後の店の近くだったり・・とにかく驚くほど何度もそのひとに遭遇することが多くて。―――――で、なんだか不思議な気もしたんだけどいつの間にか普通に会話ができるようになっていた。僕は友達とも先輩とも、まして今まで周りにいた大人たちとも違うそのひととの関わりが、新鮮でそしていつもドキドキして・・・それが恋だと気づくのに、そんなに時間は要さなかった。
初めてそのひとと二人だけで会う約束をした日。あんまりにも楽しみにし過ぎて前の日眠れなかった僕は寝坊して、慌てて待ち合わせの場所に向かった。20分も遅れてしまった僕を見て彼は少し厳しい表情をしていたけど、僕がごめんなさい・・と言おうとするよりも早く、ぐっ・・と引き寄せられて、気付いた時にはそのひとの腕の中に抱きしめられていた。
「――なぁ、お前、俺のモンになれよ」
怒ってると思っていたそのひとが僕を抱きしめ、ひどく優しい低い声でボソボソと呟くように言った。
「トシ・・・。―――――俺のこと、好きになれよ」
僕の片想いだと思っていたのに、予想もしていなかった嬉しすぎる言葉を告げられた。
「・・・好きだよ。もう」
震えてしまった声でそう言った僕を抱く腕に、ぎゅぅ・・っと力が籠った。―――――あの温もりは、今でも覚えてる。
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