第5章

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第5章

 マンションに帰るとぼくは、先に帰っていた少し酔った男から、いつものように理由もなく殴られた。機嫌が悪くいつもより執拗に殴られているあいだ、蛍光灯の白い照明が、ちかちかと点滅するように視界をよぎった。  照明をつける気力もなく、ようやく真っ暗な自室のベットに倒れ込むと、冷たいシーツがひんやりして腫れた顔の痛みをいくぶんやわらいでくれた。涙が(こぼ)れそうになったが必死にこらえた。  小鳥たちが(さえず)りはじめた朝方、帰宅したママがぼくの姿をみとめると、ごめんなさいを繰りかえし目を(うる)ませながら、腫れた顔を冷たいタオルで冷やしてくれた。  それからママは、決心をしたように小刻みに震えながら、細い腕でぼくを強く抱きしめた。  そして、躊躇(ちゅうちょ)することなく台所の包丁を手にとると、男が寝ている隣の部屋に静かに入っていった。  すぐに男の醜い悲鳴が聞こえた。  朝の陽光がレースのカーテン越しになだれ込んだ部屋で、血に汚れたママは少し待っててとかなしそうに微笑み、すぐにシャワーを浴びた。  浴室から戻ると、ママは裸のままぼくの腫れた頬にキスをしふたたび強く抱きしめてくれた。ママの微細な身体の生毛(うぶげ)が、朝の光にダイヤモンドダストのように輝いてとても美しかった。ママのやさしい匂いがした。  ──ナオミ先生から、会って話しがしたいと手紙をもらったけれども、すべてが遅かった。  ユウちゃん死んでも一緒だからね!  《ドキドキした》  そして、ぼくは死ぬんだと思った。
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