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第6章
ぼくとママは、午後になるまで仮眠をとった。
ぼくはママにお願いをした。定禅寺通りの欅たちに、最後の別れの挨拶をしたいと……
(この状況でカナエに会うことは無理だったので、カナエに会うことは諦めた)
ママは、ベージュでツバ広の日除けハットをかぶった。
ぼくは、ママが買ってくれたいつもの上品なブルーの短めのツバにふっくらとしたフォルムのキャスケットをかぶった。
定禅寺通りの欅並木は、豊潤な黄緑色の新緑に覆われ、遊歩道には木漏れ日があちこち光の円を描いていた。
ぼくは、遊歩道に設置されている黒く光る「オデュッセウス」のブロンズ像のすぐ傍まで走ると、息を切らせつつ新緑の葉村に覆われた欅たちを見あげた。ぼくは祈った。ずっと耐えてきた涙が溢れてきた。
そのときぼくは、ぼくの方に向かって遊歩道を歩いて近づいてくるひかりのようなものを感じた。すぐにそれが暗闇のなかで、ぼくがずっと待っていたのかもしれないと悟った。
宇宙の彼方からとどく一等星のひかりのようなもの……
振り返ると、木漏れ日に満ちた遊歩道をぼくの方へと、ひとりのおとこと白とゴールドの毛並みの小犬が歩いていた。
まん丸とした大きなひとみの小犬だった。
澄んだ黒いひとみに吸いこまれそうになった。
《ドキドキした》
その小犬のつぶらなひとみは、一等星と同じ輝きだった。
正対するように小犬がおすわりしたまま、丸く大きなひとみでぼくを見あげた。しばらくぼくは小犬と見つめ合ってから跪いて、微笑みながら手を伸ばした。
しかし、しっぽを振りはじめた小犬が近づこうとしたとき、ママの呼ぶ声が聞こえた。
とても残念だったけれど、ぼくは小犬に手を振って、新緑に包まれた遊歩道をママの待つ方へ向かって駆けだした。
ママは、晩翠通りとの交差点で途切れる遊歩道の端で、ベージュでツバ広の日除けハットをかぶって待っていた。
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