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がぶがぶと水を吸い込んで、腹の下がずっぽりと重くなる。もがいても、海藻のような髪の毛が顔面に張りついてくる。目を開けたくとも、しょっぱい水滴が視界を覆う。
ああ、これは涙だ。
私はその水滴の正体をぼんやりと思い浮かべた。
苦しいと声を出すことはできない。狂ったような叫びは、泡となって消えていく。
このまま真っ暗な底に沈んでしまえたらどれほど楽だろうと、夢想するのは途方もないようで、実のところ容易だ。楽を選んで逃げたところで、私を否定する者は誰一人いないだろう。
逃げた先が、楽だとも限らない。
誰しも、私に正しいことを教えられない。誰もが、答えなど知らないからだ。
遠い、手を伸ばしても届かないほどの向こうで、私を呼ぶ声が聞こえる。
私はそちらに行きたい気がした。
しかし、暗闇から伸びてきた無数の腕によって阻まれる。力強く真っ暗な海底に引っ張りこもうとする。抵抗も意味はなく、もがく動きと同じ速さでどんどん奥へと連れていこうとする。
いやだ、と叫ぶ。
誰も私の声を聞き遂げてはくれない。私を思ってくれる人はいない。
いや、そうではない。
私が見ようとしてこなかったのだ。私を思ってくれる人々を、私が大事にしなかったのだ。
すべては、私が犯した罪なのだ。
罪を背負って、私は奈落へと向かうべきだと目を閉じた。
とたんに海底に一閃の光がそそがれる。
誰かが泣き叫ぶ声がする。私を必要とする声がする。視界が開け、天上からのまばゆい光を見つめた。
私を逃がすまいと黒い腕の力が強まった。体は簡単に引きずり込まれ、涙が泡となって天上に上っていく。
私も、泡になってそちらに行きたい。鉛の体を上向きにする。顔を上げ、真っ白な自分の腕を伸ばす。高く、高く、空の光を掴むように。
温かい何かが胸の中に入ってくる。母親にタオルケットごと抱きしめられたときと似た温もりだった。春の日差しを、干し終わったあとの洗濯物の匂いを思い出した。
私は、この温度が欲しかった。
もう、全身に絡みつく闇はない。
私は自由だ、目が覚める。
求めていた酸素が、私の体内に入っていく。汗によって頬に張りついた長い髪の感触が、生きているという事実を鮮明に告げてくる。目を開けると、暗闇は一つもない、真っ白な空間。
嗅覚が覚醒する。消毒液の匂いが鼻をつく。次に聴覚が戻った。一定の間隔を空けて電子音が鳴り響いている。
私は失敗したのだ。
そして、生きることに成功した。
両親の疲弊と安堵が混ざった顔を、ガラス越しで見ることができた。私をこの世に繋ぎ止めてくれた人たち。私はまだ、ここに居てもいいのだ。
ああ、生きている。
ああ、生きてしまった。
その相反する思いを、私はまだ整理をつけることができない。
それでも、一つだけ理解する。
私は死ねない。海底にはいられない。
この世に縛りつけるものがある限り、私はあの闇の世界に戻ろうとは思わない。
白い光が目に飛び込んでくる。
闇よりも、その光は苦しい。
苦しいのに、どこか愛おしかった。
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