夜行中

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破滅願望がある人間は今どきそう珍しくない話で、例によって俺もその破滅願望者の1人だった。 誰もいない、暗い町を独り歩いている。深夜はもう零時を回った頃だ。 最近、家の近所を深夜に徘徊するのが日課になっていた。理由は……あると言えばあると思うし、無いと言えば無かった。 単純に言うと、深夜に歩いていると気が滅入って感傷に浸ることができた。 仕事が上手く行かなければ、人間関係も上手くいかない。生きる気力が日に日に枯れていくような感覚。もう何もかも投げ出したいと毎日思う。 突飛な話、こうして暗闇の中を歩いていればなにか超自然的に、もしくは変質的に破滅の扉が開くような気がしているのだ。 しかし、俺の破滅願望というのは剃刀を首にかけることができない臆病さと、まず剃刀を準備するに至らない怠惰と、破滅するに値する悲劇を持ち合わせていない、なんとも不純な動機であった。 きっとこの町やこの町の外では、借金に首が回らなくなった人間がいるだろう。何か取り返しのつかない過ちを犯して後悔に押しつぶされそうな人間がいるだろう。背負わなければいけない責任を背負いきれなくなってしまった人間がいるだろう…… そういった俺より悲劇で、俺より破滅と向き合っている人間が世の中にはうんといるのに、俺が破滅だのなんの考えるのはそういった人間達になんだか申し訳なくなってくる。 結局のところ悲劇を演じているような(錯覚の)自分に酔いたいだけなのかもしれない。屁理屈で意味を見つけて理屈では意味を失っていた。こういう問答を毎日徘徊しては繰り返している。 しばらく無意味な屁理屈と理屈の問答を続けていると、外灯に照らされた広場を見つけた。特に何かあるような場所ではなかったが、ちょっと気になったのでその広場に近づいてみた。 やはり、何かあるような場所ではなかった。公園にあるような、休憩用のベンチ。一定の規則に従って敷き詰められた灰と焦げ茶色のタイル。何故か佇む水飲み場。お世辞にも広い場所とは言えず、公園とは呼べないような狭い広場だった。 休憩がてらベンチに腰掛けて、しばらく物思いにふける。 一体何故こんな場所があるのか。今更水飲み場なんて子どもしか使わないだろう……たとえば子連れの大人が休憩するにしても、遊具が無いのでは子どもが飽き飽きするのではないのか…… もちろん、よくよく考えて見ればちゃんとした大人がちゃんとした理由があるのは理解できるのだが。 どうしてもその時の俺はこの広場が子どものためのようにしか思えずに、日頃の屁理屈で凝り固まった頭では納得のいく答えは出なかった。 まあそういうものだろう── 今日のところは徘徊にも飽きてきたから、家への帰路に着こうと立ち上がった。 ふと、タイルで彩られた足元の模様が視界に入る。瞬間、動けなくなった。何故か? タイルが俺の奥底に訴え掛けてきたのだ。 規則正しく並べ慣れたタイルの模様は、道の左側端から右側端へ広がって、小さい半円から大きい半円へ。灰、焦げ茶、灰、焦げ茶と交互に波打つように並べられていて、それが道の出口へと半円が一つ、二つ、三つ……と続いている。 そういえば、子どもの頃の俺はあの規則正しい模様の上を理由もなく、一つ飛ばしの同じ色のタイルへと飛び越えていた気がする。 そうか……そうか! 妙に納得した。別に遊具なんてなくても問題無いのだ。遊具なんてなくても子どもは遊んでいられる。 童心に返って、俺は懐かしい記憶を見た。道に転がっていた形の良い石は宝物で、虫かごに捕まえた虫たちは新しい家族だった。 夜眠る時、点いているのが当たり前だったあの豆電球は俺の中では光り輝く満月であり、天井蔓延る無数のシミは間違いなく星であって星座だったのだ! 鳥肌が立った。今の俺はこれ以上になく感動している。 かつての俺は目に見えるものに意味を見つけ、自分のルールの下で自己中心的に、あるいは時折他の子ども達とも共有して楽しむことかできたじゃないか。 いつから失くしていただろうか。忘れ去ってしまった大切なものを、不意に小棚の引き出しから見つけたような、懐かしく愛おしい感情で、ただひたすらに愉快だった。 この感動を誰かに伝えてやりたくなったが、やはり辺りは暗く、誰もいなかったのでやめた。 ともかく、俺はここが子どもの場所だ、という屁理屈にとりあえずの納得と、失っていたものを見つける美しい感傷に浸ることができた。 今日は破滅するには勿体ない日だった。 家への帰り道、真っ暗闇の中で頭が覚めて馬鹿馬鹿しい考えだったと恥ずかしく、自嘲気味になったが、あの美しい感傷だけは輝きを失うことはなかった。 次の日からは、深夜徘徊をやめた。 俺はあの外灯の下で理屈を見つけ、暗闇の中に意味を失ったからだ。
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