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私はだんだん疑心暗鬼のようになっていきました。私からすれば、スミコさんもそれほど変な人じゃなかったですし、アキコさんも良い上司です。それなのに自分だけが知らないまま、壁を一枚はさんだ後ろ側で、なにかどす黒いものが轟音を立てて流れているのを垣間見てしまったような、そんな気持ち悪さを感じるようになってしまったのです。
そして状況は悪いほうに変わっていきました。スミコさんの矛先が私にも向くようになってきたのです。
「ちょっと話があるんだけどいい?」
スミコさんがそうやって、私に話しかけてきたのは、やはりアキコさんが居ない日のことでした。まわりには他に誰もいませんでした。
「あっはい……。もしかして私、なにかやらかしましたか?」
「いいえ。なにかっていうんじゃないんだけど……。そのトイレのことなんだけど」
「トイレ……ですか」
「ええそうなの。あなた、私と同じタイミングでトイレに行くでしょう? それが……ちょっと気になって」
「あ、時間かぶってました? それはすいませんでした。気をつけます! ――あれ? でも、……その、別にトイレで会ったりしてないですよね?」
「時間じゃないわよ。タイミングの話。私が例えば12時5分にトイレに立ったら、あなたも1時5分にトイレに立つ、とか。そういうタイミングの話よ」
私はスミコさんの言っている意味がわからず、思わず聞きかえした。
「――え? ちょっと待ってください。その……同じ時間、とかじゃないってことですよね? 同じ……タイミング? ですか?」
「そうよ。タイミング。それ、気になるからやめてほしいの」
正直、私には理解できませんでした。同じ時間にトイレに立ってしまって、タイミングを合わせて休憩しているように見えるから外聞が悪い、というならまだわかります。でも、同じ「タイミング」というのはいったい……。そんなこと意識したこともありませんでした。隣同士とはいえ距離もあるし、部署も違うのに、私がトイレに立つタイミングをいちいち見ていたということでしょうか。
強気な人ならここで「スミコさんの考えすぎじゃないですか」とでも言って反論したかもしれません。でも、とてもじゃありませんけれど、私にはそんな芸当はできません。
「すみません。あの、今度から気をつけます……」
私にできたのは、何の自信も納得もないまま、空手形を出して逃げ帰ってくることだけでした。スミコさんの、あの黒目がちで何も映していないかのような瞳が忘れられず、その日はなかなか眠ることができませんでした。
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