1 朧 -おぼろ-

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1 朧 -おぼろ-

 小高い丘から奥へとつながる溝伏山(みぞふしやま)は、それほど深い木々に覆われた場所ではありません。  にもかかわらず、人が滅多に立ち入らないわけは、山にはヌシが住んでいるとされているからです。  そのすがたはそびえ立つ山のように大きく、身の丈は二丈(六メートル)ほど。  夜をまとい、闇に乗じ、鋼のようなするどい歯をたて襲いくる。身の毛もよだつ、なんともおそろしい化け物です。  退治してはならぬと、その地は伝えます。  かつて、我こそはと思う者たちが討伐へ向かい、それぞれが武器を振りかざし、ヌシの躰へと突き立てました。  昼夜を問わずした戦いは苦難をきわめ、けれど、頑強な躰が(たお)れることはなかったといいます。  ヌシのするどい歯を持ち帰り、(やじり)として狩りに使った若者は、空へ放ったはずの矢を己の顔に受け、両の目をうしないました。ヌシに噛まれた者は、気が触れたかのような振る舞いを起こし、発狂ののちに亡くなりました。  討伐にかかわった者たちは、一様に悲惨な末路をたどっており、山神(やまがみ)の祟りと囁かれます。  祟りは、村人の生活へも被害をおよぼしました。  ある時は水が枯れ、ある時は飢饉にあえぎます。  山からおりる風が草を枯らし、人々は飢えにくるしんだのです。  村長(むらおさ)は、ヌシの怒りを鎮めるため、供物をささげ、いのりました。  どうか、どうか、おしずまりください。  その甲斐あってか、村の荒廃はとまりました。  ですから、村人たちは思ったのです。  ああ、これはやはり、祟りであったのだと。  そのため村では、おいそれと山へ立ち入ることを「禁忌」とするようになったといわれています。
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